2012年6月30日土曜日

数学講座台本:空間の向き


空間の向きと行列式

今日は空間の向きというお話をしたいと思います。
まず化学のお話から始めましょう。皆さん炭素原子の構造について聞いたことがあると思います。炭素原子にはこのような4本の腕があってその腕に他の原子が結合するようになっています。

ではそれぞれの腕に原子1が結合したとしましょう。このような原子はこんな形をしています。なんということは無いですよね。



では次に2種類の原子、12が結合したとしましょう。まず13個、21個結合したとします。このとき1のつく場所は4つ可能性がありますが、これらは全部同じものですよね。では12個、22個のものはどうでしょうか?たとえばここに1が、ここに2がついたものと、ここに1がここに2がついたものは同じといえるでしょうか?どうですか考えてみてください。






はい、同じですね。
では次に3種類の原子123が結合したときを考えましょう。12個、21個、31個です。このときはできる物質は全部同じになるでしょうか?ちょっと考えてみて下さい。
はい、今度も同じですね。
では最後に4種類の物質1234が結合する場合を考えます。こんどはどうでしょうか。



どうでしょうか、どうも2種類ありそうですね。このことについて考えて見ましょう。なぜ2種類あるのか説明できる人はいますか。

さて、日本人の化学者でノーベル賞を受賞した野依先生という方がおられます。野依先生がノーベル賞を受賞した業績というのがこの二つのペアになった物質に関するものです。このような物質を合成するとこの2種類が半々ででてきます。ところが、面白いことにこの二つの物質の片方は人間にとってとても役に立つが、もう一つは役に立たないどころか時には害になるということがあるのです。ではこの役に立つものだけを作り出すにはどうすればよいか。野依先生の研究というのはこの役に立つ方だけを作り出す方法に関するものだったのです。こんな風に同じような形をしているのだけれども、どうも2種類ありそうなものは他にどんなものがあるでしょうか、ちょっと考えてみてください。

かれいとひらめ、靴、手袋・・・などですね。他に何かありますか。

今日はこのような性質の違いを数学的に表す方法について考えてみたいと思います。

2012年6月28日木曜日

クリティカルシンキング(2)

文部科学省から平成24年6月5日付で「大学改革実行プラン」と
言う資料が発表されています。


http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/24/06/__icsFiles/afieldfile/2012/06/25/1312798_01.pdf


文科省のページによると、その目的は次のとおりです。



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現在、日本は少子高齢化の進行や地域コミュニティの衰退、グローバル化によるボーダレス化、新興国の台頭による競争激化、といった急激な社会の変化や、東日本大震災という国難に直面しています。そのような状況において、社会の変革を担う人材育成、知的基盤の形成やイノベーションの創出など、「知の拠点」として、大学が、この国の発展に果たすべき役割は極めて大きく、かつ、多様です。そして、現下の日本の状況下においては、大学改革は待ったなしの状況であり、実行が求められています。そのため、日本が直面する課題や将来想定される状況をもとに、目指すべき社会、求められる人材像・目指すべき新しい大学像を念頭におきながら、大学改革の方向性を「大学改革実行プラン」としてとりまとめました。
=======================

この中で入試改革にも触れられていますがそこでも

思考力・判断力・知識の活用力
等(クリティカルシンキング等)を
問う新たな共通テストの開発

という記述が見られます(P9)。

これから判断するに、クリティカルシンキングというのは「思考力・
判断力・知識の活用力」を指しているようで、入試でこの力を
問う問題を出すことが期待されているようです。

個人的には現在の入試問題は、がんじがらめ(「禁じ手」だらけ)
という感じていますので、この制限の中でこのような能力を問う問題
が作れる気はしませんが・・・
文科省はこのような改革を平成24年(今年)〜26年に実施するつもり
のようです。

もし本気でこのような入試改革を実施するなら、入試制度も当然
大きく変わることになるでしょう。


2012年6月27日水曜日

JSPSサマープログラム


日本学術振興会(JSPS)は「サマープログラム」という
事業を実施しています。

(JSPSサマープログラムのWebページより)
本プログラムは、アメリカ合衆国、英国、フランス、ドイツ
及びカナダの5か国の博士号取得前後の若手研究者に対し、
夏期の2ヶ月間に、日本語及び日本文化等に関するオリエン
テーションと、大学等研究機関における共同研究の機会を
提供するものです。来日後の1週間、総合研究大学院大学に
おいて日本語研修、ホームステイ等のオリエンテーションを
実施し(プログラムの内容は年度によって異なります)、
その後、研究機関において、日本側受入研究者の指導のもと
に共同研究に従事します。8月下旬の帰国前には、その研究
成果を発表する場として報告会を開催しています。

これまでもこの事業では何人もの若い数学者が私の
所に来て数学の研究をするとともに、日本に数学・
文化に対する理解を深めてくれました。

今年もまたこの事業でUCSB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)
の学生が一人私のところに滞在してます。

2012年6月25日月曜日

クリティカルシンキング

社会の期待に答える教育改革の推進」


の中に書かれている「クリティカルシンキングを重視した
入試への転換」という記述が気になって、「クリティカル
シンキング」とは何か調べてみました。


http://globis.jp/321


によるとクリティカルシンキングというのは



効率的に正しい結論にたどりつくための、共通の「考える基盤」


という意味があるのだそうです。単に


他人の言うことを「批判的」にとらえる


といった、後ろ向きな考えかたでは無いということで、
とりあえず安心しましたが、では、一体何を目指している
のか・・・


もしかしてgoogleの入社試験のようなものを大学入試
でもやれということでしょうか。




Googleの入社試験問題より



あなたは同じサイズのボールを8つもっています。
そのうち7つは同じ重さですが、1つはほかのものよりもわずかに重いです。
秤を2回だけ使ってこのわずかに重いボールを見つけるにはどうすればいいですか?





ある国では人々は生まれてくる子には男の子だけを欲しがりました。
そのため、どの家族も男の子を産むまで子供を作り続けました。
この国では男の子と女の子の人口比率はどうなりますか?





あなたはA地点からB地点に行かなくてはならない。そこに到着できるかどうかは知りません。どうしますか?










2012年6月23日土曜日

不易流行(3)

奈良女子大学におられた数学者岡潔先生は、その随筆の中で

「よくひとから数学をやって何になるのかと聞かれるが、
私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけで
いいと思っている。」(春宵十話)

書かれています。個人的に同感ですが、やはり、これは
数学の世界の側に入ってしまった人間の言葉と思います。

実際には数学の世界に入ってこれていないひと、特に
そのことに気がついてすらいない人がたくさんいるのが現実です。

数学に限らずどの「学問でもそうですが、研究者がなぜ
その学問を専門とするのかという問い、を突き詰めてゆくと、
最終的には

「そこで取り扱っている対象が何となく好きだから」

ということになってしまうのではないでしょうか

教育における「不易」とは、こんな「本能的な心地よさ」と
もいうべき感性を生徒たちに伝えること、と思うのですが。

ドラえもんの手

ドラえもんの丸い手が開発、その高機能にビビる Cornell Creative Machines Lab


http://japan.digitaldj-network.com/archives/51984119.html

こういう発想には率直に感動します。
言われてみれば、当然というかも知れないけれど、それを最初に
思いついてそしてそれを実現する実行力・・・素晴らしいと思います。

2012年6月20日水曜日

不易流行(2)

教育における「不易」は何かと言うと、やはり

生きて行く上で必要な力を身につけさせる

ということになるかと思います。例えば、

「文章を読む力」
「他人が理解できる文章を書く力」
「計算できる力」
(読み、書き、そろばんですね)

はその最たるものでしょう。ただ、例えば
むかしの「書き」は書道に代表されるような
「きれいな文字を書く力」であったこと、そして
現在「書く力」としてはそれとは全く違うものを
求められていることを考えると、これを「教育における不易」
と呼んでいいのか、疑問を感じます。


数学で言うと、むかしの「計算」には
「間違えが無いように、より早く計算する」
というイメージが有ったのですが、これもどうも
変わってきているように思います。

社会の期待に答える教育改革の推進(2)


社会の期待に答える教育改革の推進」
(平野文部科学大臣、平成24年6月4日)


では教育改革のポイントとして次の7つをあげています。
気になるところを赤字でマークしておきます。

小中一貫教育制度・高校早期卒業制度の創設(六三三制の柔軟化)
【H24年度~検討・実施】、
少人数学級の推進【H23年度~逐次実施】

②大学入試改革
➢クリティカルシンキングを重視した入試への転換
【H24年度~検討着手】
➢TOEFL等の入試での活用促進【H24年度~】

③大学の教育機能の再構築とミスマッチ解消
大学生の学修時間の欧米並み実現【H24年度~】
➢社会ニーズ等を踏まえた学科等再編、産学人材
育成プラットフォームの拡大・強化【H24年度~】

④英語力・グローバル力の向上
➢20代前半までに同世代の10%が海外留学等を
経験【H24年度~】
高校生の英語キャンプの全国的展開【H24年度~】
➢国際化拠点大学(40大学)を指定し、卒業時の
到達水準(TOEFL○○点等)を設定【H24年度~】

⑤国立大学のミッション再定義と重点支援
➢全ての国立大学毎のミッションを定める「国立大学
改革プラン」を策定【H25年央】
➢ミッションに応じたメリハリある支援【H25年度~】
➢一法人複数大学方式等の制度的整備、大学・学部の枠
を越えた連携・再編成等を促進【H25年度~検討・実施】

⑥学生の75%を占める私学の質的充実に向けた支援・
メリハリある配分
➢多様な「分厚い中間層」など私学の特色発揮に向
けた支援・メリハリある配分【H24年度~】
➢「設置認可→大学評価→是正措置」にわたる質保
証システムの確立(適応できない大学に厳しく)【H24年度~】

⑦世界で戦える「リサーチ・ユニバーシティ」の倍増
【H24年度~逐次実施】、
地域再生の拠点としての大学の機能強化【H25年度~逐次実施】

2012年6月19日火曜日

不易流行

「社会の期待に答える教育改革の推進」


の中に書かれている「社会の構造的変化に整合した教育
とは、どんなものなのか・・・

教育、特に大学における教育の改革の議論について話を
聞くときにはよく、「不易流行(ふえきりゅうこう)」
という言葉が頭に浮かんできます。

(goo 辞書より)
不易流行
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、
新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。
また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易
の本質であること。蕉風俳諧しょうふうはいかいの理念
の一つ。解釈には諸説ある。
▽「不易」はいつまでも変わらないこと。
「流行」は時代々々に応じて変化すること。


社会の期待に答える教育改革の推進

「社会の期待に答える教育改革の推進」
(平野文部科学大臣、平成24年6月4日)という文書が
公開されています。

社会情勢の変化に伴って教育はどう変化してゆくべきなのか、
という問題についての提言です。


教育改革のための基本的視点として次の2点が挙げられています

① 社会の構造的変化に整合し外部に開かれた教育への転換

少子高齢化による内需や生産人口の減少、産業構造・就業構造の
変化、グローバル化の深化に対応するため、地域コミュニティや
産業界等と協働し、社会の構造的変化に整合した教育を充実。

幼・小・中・高・大の円滑な接続、教育と産業のマッチング

大学の入口・出口の重視(大学入試改革や産業とのミスマッチの
解消)、教育の質の向上。

2012年6月17日日曜日

πという登場人物

キースデブリンの「数学する遺伝子」という本は
「数学をするための能力は言葉を操る能力に他ならない」
ということを示すことを目的に書かれたものです。

この本の中でデブリンは、言語のおもな用途
(彼は特に
「努力して使える用途ではない、
使おうとして使える用途でもない、
このようにして使われるべき用途でもない、
人々が実際にほとんどの場合に使っている用途だ」
と断っています)を
「ゴシップである」と断じています。そして数学を
する能力はものゴシップを語るものと同じであると
のべています。

ゴシップ:噂話、世間話

私自身の感覚で言うと、数学をしている時の感じは
「噂話」「世間話」というよりは、断片的に景色が
見えているおとぎ話の世界の
中をいろいろと動き回って、何か新しいものを
見つけることに近い気がします。
ただ、ここでいうおとぎ話というのは普通の世界観とは
全く違う、たとえて言うと谷山浩子の歌の世界に
近いように感じます。

2012年6月15日金曜日

しっぽのきもち

「しっぽのきもち」はシンガーソングライター
谷山浩子の作詞・作曲の作品の一つです。


「いちばんなりたいもの」は
「あなたのしっぽ」


というとんでもない世界観を、圧倒的な歌唱力
で聞いている人に、納得させてしまう、谷山浩子
は天才と呼ぶのにふさわしい人だと思います。



2012年6月13日水曜日

数学と美術(5)

数年前に「数学入門」という講義を担当しました。
その講義の中で2個の正方形を次々と取り出して
ゆく操作が無限に繰り返せる長方形について講義
したあとで、これを使って美術的な作品をつくると
言う課題を出しました。以下はその時に提出して
くれたものです。
発想の素晴らしさに驚くばかりです。





2012年6月12日火曜日

数学と美術(4)

コクセターの回答に満足できなかったエッシャーは
自分の問題に自分自身で取り組む決意をします。
(このあたりの具体的な内容はわからないのですが)
エッシャーはそれに成功しその成果は cirlce limit
と名付けられた一連の作品として発表されます。
この作品をみたコクセターはエッシャーが数学的に
全く正しいこと、そしてその作品を通して、自分が
数学的な誤解をしていたことに気がつくのです。

コクセターからcircle limit の数学的意味について
説明した手紙を受け取ったエッシャーは自分が
その内容を(数学的知識がないために)理解出来
ないことを残念に思ったとのことです。

上記の内容は

http://www.ams.org/notices/201006/rtx100600706p.pdf

に寄ります。

数学は美しい・・・それは間違いではないのですが
この言葉には何かが欠けているような気がします。


2012年6月10日日曜日

数学と美術(3)

コクセターによって示された、双曲平面のタイル貼り
に興味を持ったエッシャーはその図を自分自身で
再構成しようとしますが、その為に必要となる円の
中心を決めることが出来ませんでした。そこで自分で
描いた絵を添えた質問の手紙をコクセターに送るのですが
コクセターからの返事はその位置を明確に与えるような
物では有りませんでした。結局エッシャーはその位置を
決める原理を自分自身で(明確に定式化したかどうかは
別として)発見したのです。

以上の内容はNoticeの記事

http://www.ams.org/notices/201006/201006-about-the-cover.pdf

のごく大雑把な要約です。

2012年6月5日火曜日

数学と美術(2)

「数学は美しい」という言い回しがあります。
これに同意するかは別として、やはり数学者の
数学至上主義が見えるような気がして、私自身は
この言葉にあまりいい印象を持っていません。

数学と芸術の関わりというと、数学者コクセターと
芸術家エッシャーの関係が思い起こされます。
「有限の世界の中に無限の広がりを見出したい」と
考えていたエッシャーはコクセターによる双曲平面の
タイル貼りに出会い、それを利用することにより、
独自の作品を多数生み出しました。

数学と美術


アメリカ数学界のだしているNoticeという雑誌に

Mathematical Aesthetics
in a Beautiful Town:
Bridges Coimbra 2011

という記事が載っています。
(オンラインで閲覧可能ですので興味のある方は
http://www.ams.org/notices/201205/rtx120500648p.pdf
を御覧ください。)

(以下、記事の前書きのごく大まかな要約です)

ブリッジズ会議は、
1998年にReza Sarhangi (Towson University)によって始められました。
ここでは様々な分野での数学的な視点と芸術的な
視点の間の対話のきっかけを作ることを目標とします。
ブリッジズ会議のユニークな点は、形式的なプレゼンテーション
に加えて、次のようなものが実施されることです。

○視覚芸術のギャラリー・ディスプレイ、
○家族、子ども、や専門の教育者のためにも設計された実地の
ワークショップ
○芸術家および数学者とセッション;
○数学的な詩の朗読;
○また夜に開催されるミュージカルや映画のイベント

2012年6月1日金曜日

こだわらないことの価値2

何かにとらわれること、にネガティブな
作用がある、

ことは、とりあえず置いておいて、今度は

「なにかにとらわれないことにはポジティブ
な意味があるのか」

という命題について考えてみると、これは
「もちろんある」断定して良いようです。

いろんなことに興味を持って、とにかく自分の
眼でみて手で感じてみたい、そんな特性の
価値が、情報社会の発展に伴ってますます
高まっているように見えます。但し、誤解
してほしくないのですが、私の言いたいのは

今のように情報が容易に手に入る時代になっ
たからこそ実物に触れることの価値がますます
高まっている、

ということです。


こだわらないことの価値

何かを頑(かたく)なに信じている人は、不幸に
なる確率が高い・・・のではないかでしょうか。
例えば「一流大学に入らないと幸福な人生が送れない」、
「結婚して子どもをもうけなければ、幸福な人生とは
言えない」、・・・
等いろいろあるかと思います。

学問世界で言うと、とにかく「こういう結果が出るはず」
だと信じて、自分の道を突き進む、というタイプの学者
がそれに当たるでしょうか。

むかしの偉人伝などを見ると、学問的に大きな貢献を
する人の一つの特性ののようで、実際にそれはそれで
尊いことだと思います。

ただ、このような求道者のような生活が
できる人は、ほんとに一握り(おそらく1%もいない)
しかいないように感じています。

もしかしたら、多くの学者は何かに囚われてしまって
大きなエネルギーが無駄になっているのではないか、
そんなことを今考えています。