2022年3月10日木曜日

生成的コミュニケーション

(以下は本校の育友会の発行している冊子に寄稿した文章を若干改変したものです。提出日は2021年11月4日です。この前のポストと合わせてお読みいただければ、と思います。)

現時点でコロナウイルスパンデミックは小康状態に至っていますが、収束の道筋については依然として見えない状態です。今年(2021年)に入ってもじわじわと私たちを苦しめていたコロナウイルスは夏休み前に急拡大の兆しを見せていました。漠然とした不安を抱えたまま迎えた夏休み中に感染者数がうなぎ上りに増加、「10月には日本での1日の感染者が1万人を超える」という予測も現実的なものと感じられ、本校でも夏休み明けの授業はしばらくの間オンラインで実施となりました。ところが、理由は現時点ではわかっていませんが、その後感染者数は激減、それを受けて秋の運動会の実施を決定しました。ただ本音を言いますと、本当に運動会ができるという確信は持てませんでした。何しろコロナウイルス感染症に関しては、それまで常に私たちが予想していたよりも悪いことが起きていたのですから。ところが今回は良い意味で予想を裏切るような状況が続き、10月16日、変則的な形ではありますがなんとか秋の運動会を実施することができました。プログラムでは1、2、3、4年生と5・6年生のペアの「表現」のダンスが行われたのですがこのダンスを初めてみた新米校長には驚きと感激の連続でした。今回はこれに関連して考えたことについてお話をさせていただこうと思います。

ところで今年行われた東京オリンピック・パラリンピックのパラリンピック女子マラソン(視覚障害T12:視力0.0025から0.032まで、または視野直径10度未満)で道下美里選手が金メダルを獲得しました。右目は完全に失明、左目がやっと明るさを感じることができるほどの視力の道下選手は42.195キロを3時間50秒で走りきったのでした。この競技では選手に対して伴走者(交代で2名まで可)がつきます。伴走者は目が見えない選手に対して走路の状況、天候、他の選手との駆け引きなど様々な情報を伝えますが、ここで選手と伴走者の間で行われるやりとりについて美学者の伊藤亜紗氏は著書「手の倫理」の中で詳しい分析をされているので、少しその内容について紹介させていただきます。

伊藤氏は身体を通して行われるコミュニケーション(ここではスポーツやその練習で選手同士や選手とコーチが身体の動きをやりとりする場面を思い浮かべてください)の集まりの中に一本の軸を立て、その軸の一端を「伝達的モード」と定めています。この伝達的モードによるコミュニケーションとは、例えば、コーチが選手に「理想的な」体の動きを教え込む、といった状況を指しています。そこでちょっと考えてみてください。

問:この軸の反対側の端には一体どんなコミュニケーションのモードがあるでしょうか?

いかがですか。では答えを紹介しますね。伊藤氏は同書で「それは生成的モードでありそれを実現(生成的コミュニケーション)しているのがブラインドマラソン(以下では目の見えない選手と伴走者が一緒に走る運動一般をブラインドマラソンと呼びます)における選手と伴走者との関係である」(:小林の解釈によるまとめ)と述べています。突然、「生成モード」などという言葉が出てきてしまいましたが、これが、私が本校の「表現」について感じた気持ちに関わるものなのでもう少し踏み込んで説明したいと思います。

まず、ブラインドマラソンでは選手と伴走者は絆(きずな)と呼ばれる輪を二つ繋いだロープを使って繋がっていることを注意します。目の見えない選手に対して伴走者は急カーブなど意識的に体の動きをコントロールしなければならない時には、「あと二十メートルで左カーブ」のように言葉を使って明示的に指示を与えますが、緩やかなカーブでは特に声かけは行わずロープを通して伝わってくる微妙な感覚をもとに回っていくそうです。この時のロープの役目は物理的に少し選手を押す・引っ張るといった情報を伝達することにより「前にカーブがあるよ」と伝えることなのですが、長時間同じ動作を続けているとやがて二人の間の情報伝達のモードは、物理的情報交換より一段高いレベルに上がります。詳しくは伊藤氏の本を参照願いますが、やがて二人の間に「共鳴」という感覚が生じる、とのことです。この共鳴の状態においては選手と伴走者の間では、常に細かい情報のやりとりがなされており、これによって一方がメッセージの発信者、もう一方がメッセージの受信者、といった明確な役割分担が無くなり、そこでは予め予想していなかった体の動きが生まれてくる、つまり「生成される」、のです。この域に至ると選手と伴走者の間でやり取りされるのは「カーブがある」といった情報にとどまらず、視覚や感情といったものまで含まれるようになるとのことで、最高の状態では、目が見えない選手も「まるで走路が見えている」と感じられるとのことです。

このような状態のことを伊藤氏は「距離マイナスの感覚」と表現しています。直接体を触れ合うのが「距離ゼロ」の感覚とすると「距離マイナス」というのはお互いの体の中に入っていく感覚といいますか、具体的にいうと「伴走してもらう人・伴走してあげる人」という非対称な関係性は消えてしまい、一人の人間が走っているように感じる境地に至れるとのことです。そして、何よりも重要なことは、このような境地に入ったランを体験できた時には、順位や記録とは関係なく「幸せな感じ」になれるということです。これは生命が、そこに存在しているだけで喜びを感じられる姿(よろしければ「火の鳥 鳳凰編」(手塚治虫)のラストの場面で奈良の都を追われた我王が伏見の山奥で日の出を見て涙を流すシーンをご覧ください・・・コミックに興味のない人にはごめんなさいです)の表現のように見え、私も是非ともそのような体験をしてみたい、と思いました。

ところで、話は変わりますが、近年の人工知能(AI)への関心は「AIが人間の仕事を奪い、人間は無用になってしまう」という恐怖感に煽られているのか、AIバブル?とでも言いますか、やや加熱しているように思います。私自身は人間をAIに完全に置き換えるのは不可能、と信じていますが、同時にその理由をまだ言語化できていないもどかしさも感じています。「AIの限界」というテーマについては自然科学・情報科学の研究者や脳科学者・哲学者を巻き込んだ論争が長年にわたって行われていますが、その中でも特に「意識のハードプロブレム」つまり「物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験というものが生まれるのかという問題」(Wikipediaの記述より要約)は、長年にわたる未解決の難問です。この問題に取り組むには人間の知性の形成には「身体性」が必要である、ということが國吉康夫氏等多くの研究者によって指摘されているところではありますがこれを説明する標準的な定式化はまだないようです。

さて話がどんどん広がってきましたが、ここから収束させましょう。私は「人間の意識を形作るには身体性が本質的」という考えに共感しています。個人的な見解ですがこの身体性が意識に関わるためのメディアとその機能として上記の「生成的コミュニケーション」が一つの可能性として、あるのではないか、と直感的に感じています。特にここで強調したい点はこの定式化における価値評価の基準として「幸せな感じ」がとれる事、そしてこのことは非常に好ましい事であると思っています。

これでやっと最初の話(運動会での「表現」)に戻れます。このダンスの運動場での練習は運動会の三週間前くらいから行われていました。その様子は時々見学していたのですが、それは5・6年生のペアの片方が練習している時にもう片方の学年がそれを観察していて終了後に意見を交換して改良を加えていくというもので、日ごとにダンスが成長していくのでした。これを見た時「これはまさに生成的コミュニケーションを実践している」と感じました。その結果出来上がったダンスを運動会当日拝見したわけですが、それはある意味型破りなものであり、いわゆる、「伝達的なコミュニケーション」が得意とするところの、「統制の取れた」というものではなく、生命の輝きを感じさせてくれるものであった事に感激して「この子達は人生の中でも重要な体験をしている」と思いました。そしてこれを観る機会を与えてくれた児童の皆さんとダンスの指導してくださった青木先生をはじめとする先生方に感謝の気持ちでいっぱいになったのでした。

2022年3月10日 卒業式式辞

本日は、ご来賓や保護者の皆様をお迎えし、第111回卒業証書授与式を挙行できますことは、生徒、職員一同にとりましてまことにありがたく大きな喜びとするところであります。

ご臨席の皆様方に、心から感謝申し上げます。

また、この間、お子様を育み、支えてこられた保護者の皆様方には、改めてお喜び申し上げます。


卒業生の皆さんは、明日から新しい生活への希望を胸に、中学校へと進学されます。

皆さんのこの門出にあたり私からお祝いの言葉お送りしたいと思います。


皆さんは小学校生活最後の二年間をコロナ禍の中で過ごしてきました。

そのためにスキー合宿、臨海合宿、しごと合宿といった行事が実施できませんでした。

本当に残念だったと思います。

これは皆さんの小学生生活の総まとめでありそれが実施できないことは私たち教員も残念というだけでなく悔しさ、そして皆さんに対する申し訳なさの気持ちでいっぱいです。


でもそんな中でもようやく実施できた、運動会、なかよし音楽会では素晴らしい発表を見せて下さったこと本当に本当に嬉しかったです。


特に先生に印象に残っているのは運動会で皆さんが見せて下さったダンスでした。

皆さんは運動会の三週間くらい前から運動場での練習を始めていましたね。

そこで皆さんは5年生とペアになって、片方が練習している時にもう片方の学年がそれを観察していて終わったら意見を交換し日ごとにダンスが成長していきました。


ところでひとと人が接触するやり方には「ふれる」や「さわる」や「たたく」など様々な方法があります。

美学者の伊藤亜沙先生は人と人が接触するやりかたのうち「ふれる」を特別なものと考えて次のようにおっしゃっています。


「ふれる」という言葉には、相手の命に接触するように大切にする気持ちがある。


怪我をした友達がすぐ近くにいると思ってください。お医者さんは、その傷に「さわって」、傷の具合を調べるでしょう。でも皆さんは、この傷に「さわった」らは相手がどんな反応するだろうか、もしかしたら「痛い!」と言って飛び上がるんじゃないか?、ということを気に掛けておそるおそる傷にさわるのではないでしょうか。この時の友達への思いやりの気持ちが「ふれる」という感覚です。


そして先ほどのダンスですが、運動会当日拝見した皆さんのダンスはまさしく命にふれることを感じさせてくれるもので、先生がこれまで見たことのないような、素晴らしいものであった事に感激しました。


「ああ、皆さんはこのダンス通して皆さんは「ふれる」を通した人とのやりとりを勉強したのだ」


と思いました。振り返っってみると皆さんは本校で六年間毎日


おはなし、つけたし、おたずね


を、そして授業中には


めあて、ふりかえり


を繰り返してきましたね。そのやり取りの中で皆さんは


「あの子のお話は、こんなつけたしをしてあげるともっと、わかりやすくなるよ」


などということを考えたのではないでしょうか。また司会をしている時には


「あの子は面白そうなおたずねをしそうだから話してもらえないかな」


などということを考えていたのではないでしょうか。このようなことを気にしながら朝の会や授業を盛り上げていこうとすることは、人とのやり取りおける「ふれる」という感覚なのだと思います。


いま世界はコロナ禍というとても難しい状況下にあります。国によって色々な違うやり方で対策をしていましす。その中では「ふれる」や「さわる」よりもっと強いそれこそ「たたく」とか「ける」と言う言葉で表現したいようなやり方で人々を統制しようとした国もあります。

(これらの評価については、これから何年もかけてなされるのだと思いますので、ここでどれが良いとか悪いとかを述べるのは控えたいと思います。)


一方でいま現在一つの国を丸ごと蹂躙するという戦争が進行しています。

このようなことを見ていると私はこの世界はいま大きな十字路に立っているように感じます。

こちらに曲がるのかあちらに曲がるのかで世界は大きく変わっていくそんな状況にあると思います。

このような難しい時代に皆さんは


「人にふれる力」


という宝物をもって飛び立っていくのだと思っています。


本校で身につけた「ふれる力」は皆さんにとって大きな助けになると先生は信じています。


未来は皆さんのものです。そして先生は皆さんの力に大きな期待をしています。

皆さんの未来が幸多からんことをお祈りしています。

頑張ってください。

2022年3月2日水曜日

数の話:カウンティング2:共感覚

最近脳の研究が注目を集めています。そこでまず人の脳の構造について簡単に説明しておきましょう。人の脳は大きく分けて大脳、間脳、中脳、小脳、延髄、脊髄に分かれます。この中でも大脳は人間が考え、感じ、記憶するなどの機能をもつ重要な器官です。大脳は表面から灰色をした大脳皮質、その内側にある白い色をした白質、そして中心部で間脳を囲むように位置している大脳基底核からなります。大脳皮質にはニューロン神経細胞)がびっしりと詰まっています。これらのニューロンからは樹状突起が伸びており他のニューロンから送られる信号をここで受け取ります。ニューロンは細胞体から一本だけ細く長く伸びる「軸索」をもっておりこれが他のニューロンに信号を送ります。あるニューロンの軸索から別のニューロンの樹状突起へはシナプスと呼ばれる特殊な接点で情報が受け渡されます。

なお、前のポストでカウンティングにより数を認識できるようになるのが4歳くらいと述べましたが、これは脳の発達過程に対応させると次のような関係になります。赤ちゃんの出生後の脳の重さは、約400グラムですが一歳で800グラムになり、4ー5歳頃には1200グラム(大人の約80%前後)になります。ただしこの過程でもニューロンは増加することはなく、変化は樹状突起や軸索が伸びて大きくなったりグリア細胞と呼ばれる大脳の内部にある細胞が増えることによるものです。シナプスの密度は部位によって違いはあるものの脳の多くの部位で1ー3歳に前後にピークをむかえます。例えば「視覚野」では生後8−9ヶ月ころにピークを迎えた後、数年かけて3分の2程度にまで減少します。このシナプスが減っていく現象は「刈り取り」と呼ばれています。脳はとりあえず、繋がれるところは目一杯に繋げておいてそれを刈り取ることによって赤ちゃんは新しい能力を身につけていくのです。


普通私たちは「脳が新しい能力を獲得する」というとニューロンの「新しい繋がりができる」、と考えがちですが、幼児の脳の中で実際に起きていることはその逆で脳はニューロンの「刈り取り」によって新しい能力を身につけるのです。例えば次のようなことが知られています。まだ刈り取りが行われていない幼児では全ての指のコントロールが繋がっているために、一本一本の指を動かすことはできず、ものを掴むときはグーかパーのどちらかになっています。やがて刈り取りが進むと一本一本の指の動きが独立してできるようになります(「Newton脳とニューロン」154頁)。


ただ、時にはこの”刈り取り”が多くの人とは違った形で行われ、その結果ある感覚刺激(目で色を感じる、耳で音を聞く等)に対してその感覚だけではなく違う感覚も同時に感じ取れるという人がいます。このような感覚を共感覚と言います。ダニエル・タメットはそのような共感覚の持ち主の一人で彼の場合、文字や数字に形や色、質感、動きなどが伴って見えるとのことで、1は明るく輝く白、5は雷の音、・・・と感じるそうです(「ぼくには数字が風景に見える」13頁。そして共感覚は彼に数字に対する独特な感覚を与えたようで、彼は


幼いころから共感覚を使って無意識のうちに、膨大な数字を操ったり計算したりしていた(同書14頁)、


と述べています。タメットこの能力を使って2004年に円周率πを2万2514桁暗唱(ただし途中でミスのあったことが後に判明)しています。


参考文献

・Newton脳とニューロン

・ダニエル・タメット、ぼくには数字が風景に見える

数の話:カウンティング1

先に述べたように三つ以下の数字については、人間やさまざまな動物はほとんど瞬時に数を認識することができます。しかし人間はそれを超えて四つ以上の数字を際限なく認識することができます。このことに関連した次のような実験があります。

被験者にドットをランダムに配置したスライドを見せてドットの数を答えてもらう実験をするとドットが一つの時と二つの時は答えるまでに要する時間は、ほぼ同じで三つの時のやや長くなるだけだが、四つ以上になると急に時間がかかるようになるというのです(文献?)。どうやら私たちの脳が、三つ以下の数を扱う方法は大きな数に対処する方法とは違うようです。

ところでみなさんは子供の時に初めて数のことを教わった時のことを覚えていますか。おそらくそれは、身近にいる人、それはご両親かもしれませんが、から「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、・・・」と数え上げていくこと(カウンティング)を習ったのではないでしょうか。ただ子供を観察してみると「ひとつ、ふたつ、みっつ」とカウンティングを憶えた子供でも必ずしも4以上のものを区別できるとは限らないようです。一般的にカウンティングを憶えた三歳児に自分のおもちゃとかぞえさせると「いち、に、さん、」と、よどみなくかぞえることはできます。しかしおもちゃはいくつあるかとたずねるとなんとも頼りない答えしか返ってきません。この年齢の子供は、カウンティングと「いくつあるの?」という質問の答えを関連付けることがきちんとできないようです。しかし四歳くらいになるとカウンティングと「いくつ?」の関連を理解できるようになります(文献3, 187頁)。

(「数学する遺伝子」:これを理解するには、ある集まりの中にあるものを数える時、数える順番は問題にはならないと言うことを認識しなくてはならない。)

数字を表す英語の単語digitsの語源はラテン語で親指以外の指を表すdigitusという語に起源を持つそうです。それから小学生の子供に(大人でも)計算をしているとき、気がつかないうちに指を使ってしまうようです。どうもカウンティングと指の間には強い関係があるようです。この辺りのことについては脳科学の観点から次のようなことが言えます。

一般的な人が計算を実行する時に、最も強い活動性が見られる脳の領域は左の頭頂葉と呼ばれる場所にあります。ところでこの領域は右手の指をコントロールする領域でもあります(文献4, 335頁)。これらの二つの領域に強いつながりがあることは例えば左頭頂葉に損傷がある人を観察することでわかります。このような患者は、指を認知できないゲルストマン症候群と呼ばれる症状を示します(参考文献2, 4)。この障害では指に触られた時にそれがどの指なのかわからない、と同時に簡単な足し算もできない、二つの数字のどちらが大きいかわからない、といった症状が出るそうです。

参考文献

1. キース・デブリン「数学する遺伝子」

2. https://h-navi.jp/column/article/35026466 (ゲルストマン症候群について)

3. Wynn.K., Children's understanding of counting, Cognition, 36(1990), 155-193.

4. スタニスラス・ドゥアンヌ、数覚とは何か?ー心が数を創り、操る仕組み

2022年3月1日火曜日

数学する赤ちゃん:数のざっくり感覚

 ウィンの研究から8年ほど後、心理学者のフェイ・フーとエリザベス・スペルクは赤ちゃんが数のざっくり感覚(詳しくは後述)を持っているということを強く示唆する次のような実験を行いました(参考文献1, 2)。

この実験では平均月齢6ヶ月の赤ちゃん16人に、白い背景に8個(または16個)の黒点を描いたディスプレイを次々と切り替えて見飽きるまで見せます。8個(または16個)の点は見せる度に大きさ、配置、明るさなど変わります。やがて赤ちゃんは飽きてきてディスプレイ以外のものに関心を持つようになります。このとき8個のディスプレイを見慣れた後に16個の黒点のディスプレイ(16個のディスプレイを見慣れた後に8個のディスプレイを)を見せます。すると赤ちゃんは見慣れたのとは違う数の点のディスプレイを見せられるとそれを2秒余計に見続けたのでした。つまり赤ちゃんは8個と16個の違いを見分けることができたのです。


次にフーとスペルクは同様の方法で赤ちゃんが8個と12個の違いを見分けられるかどうかを試しましたが、今回は見える点の数が変わっても赤ちゃんはそのことに気が付かなかったのです。このような実験がさまざまな研究者によってなされた結果、赤ちゃんは大きな数であってもその大きさの比率が1対2より大きい場合は違う数であることがわかる、ということが明らかになりました。大きな数であっても赤ちゃんはをざっくりとした違いは区別できるのです。


参考文献

1. F Xu, E S Spelke, Large number discrimination in 6-month-old infants, Cognition 2000 Jan 10;74(1):B1-B11. 

doi: 10.1016/s0010-0277(99)00066-9.

2. ケイレブ・エヴェレット , 数の発明――私たちは数をつくり、数につくられた 単行本 – 2021/5/8 屋代 通子 (翻訳)