2019年6月30日日曜日

ピダハン



今年度放送大学の対面講座を担当することになり,数学に関する入門的な講義を行いました.この講義はまず「数」の歴史の紹介から始まるのですが,そこで,「一つ,二つ,沢山」という単純な数体系しか持たない民族の話をしよう,と考えました.そのためにこれがどこに住んでいる何という名前の民族か確かめようと調べていたのですがどうもはっきりしないのです.

学生とこの話をしていたところ「数字ではないけれど,言語に過去形未来形を持たない民族がいるそうですよ」という教えてくれたんです.そこで,このような言語をもつ民族について調べ始めたところ,今度は割と簡単にアマゾン川流域に住んでいるピダハンという民族がそれであることがわかりました.ピダハンに関しては長年彼らと生活を共にした経験を持ちピダハン語を自由に操れる言語学者(ダニエル・L・エヴェレット)による書籍「ピダハン」があり,その具体的な生活・文化について詳しく知ることができました.そこでピダハンは「ひとつ,二つ,沢山」どころかそもそも数を持たないことを知りました.


ピダハンは次のような文化を持っています.

ピダハン語は音素を11しか持たない(母音3,子音8).但し声調が豊かでこれを使って単語の多様性が実現されている.特に音素を除いて声調だけを取り出したハミングだけで会話が可能である.

ピダハン語には未来形,過去形がない(厳密に言うと「単純な過去,未来の表現はあるが,現在に結びつく過去を表す,現在完了形のような表現はない」).基本的には現在にしか関心がないから,過去の失敗を悔やむことも無いし,未来を心配して悩むこともない.将来のことを考えて,保存食を作ったり(作る技術があるにもかかわらず)長期の使用に耐える容器を使ったりしない.食料が手に入れば,手に入った分だけ食べきってしまう.手に入らなければひたすら空腹に耐える.空腹は自分を鍛える,と考えている.これは断乳したばかりの幼児でも同じである.子供は空腹に耐えきれず泣き叫ぶが大人たちは気にかけない.

ピダハン語には交換的言語使用,例えば「こんにちは」「さようなら」「すみません」「ありがとう」といった表現,はない.感謝の気持ちは,言葉ではなく親切な行為の形で示される.

はっきり目に見える形で文化を誇示しない.儀式をしたり羽飾りや入れ墨のような習慣はない.装飾品としては,粗末な首飾りを付けているが,これは魔除けとしての役割を持っている.但し彼らにとって妖精というのは,架空の存在ではなく,実際に彼らの近くにいるものである.

人が死んだときも葬式のような儀式は一切行わない.穴をほって埋めるだけである.

将来よりも現在を大切にするため,最低限必要とする以上のエネルギーを注いだりしない.

数の概念がない.単語には単数と複数の区別もない.母親は自分に何人の子供がいるのかは,わからないがその代りすべての子供の名前と顔を憶えているので問題ない.また方向を表す「右,左」や色を表す「赤,青,緑」といった単語がない.方向は「山のある側」とか赤は「血のようだ」といった表現を用いて表す.

夫婦といえる男女のペアは存在するが,男女が一緒に住み始めたらそれで夫婦扱いされる.たまにパートナーが別の相手を見つけて一緒に姿を消すようなことが突然起こる.彼らが帰ってきたあと,元の鞘に戻ることもあるし,彼らが新しいペアとして生活を始めることもある.他の人達はそのことを噂にしたりするようなことはない.パートナーを失ったものは一時は悲しむが,すぐにそれを受け入れる.それによって諍いが起きることはない.

自分たちや語り手が直接体験した以外の話は信じない.宣教師が聖書について紹介しても,宣教師が直接イエスに会っていないと聞いた途端興味を失ってしまう.ピダハン語では血縁を表す表現は親,同胞,息子,娘しかない.当然ピダハンは神を信じないし民族の歴史も神話も持たない.

ピダハンはよく笑う.自然の驚異などあらゆる事態を乗り越える能力があると信じている.ピダハンは穏やかである.身内に対してはもちろん,異文化に接したときも敵意を見せることはない.これまで他の文化に接する機会は何度もあったが,自分たちの生き方を変えることはなかった.

最初は,宣教師としてキリスト教を布教するためにピダハンと暮らし始めたエヴェレットは次第にピダハンの文化に惹かれてゆくとともに,キリスト教から心が離れてゆくのを感じます.やがて自分の中の何かが崩壊,結果的に無神論者となり家族とも別れ,言語学者としてピダハン語の研究に没頭するようになります.
そして彼が2005年に発表したピダハン語に関する論文はuniversal grammerという現在の言語学の基本となる考え方の中のある原理の一つ(再帰性)に疑問を投げかけ大論争を引き起こしました.彼の説は激しい攻撃をうけチョムスキー(universal grammerの創始者)は彼のことを「ほらふき」とまで呼んだのでした.

次のドキュメンタリー番組ではこのような論争の真っ只中にいるエヴェレットが再びピダハンに会いに行こうとしたものの何者かの妨害により,それがかなわなかったことが紹介されています.エヴェレットがピダハン語によるビデオのメッセージをピダハンたちに送るシーン,そしてピダハンたちはブラジル政府の保護政策によって,その居住地にはトイレが設置され,子どもたちは学校でポルトガル語による教育を受けさせられている姿が,最後に紹介されています.



2019年6月26日水曜日

「ホモデウス図解,要約してみた」を講義に利用してみた




セミナーでの雑談中にイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの著書「ホモ・デウス」のことを学生に教わったので早速,購入して読んでみました.

現在のテクノロジーの発達は人類をどんな世界に連れて行こうとしているのか,壮大なスケールで描くこの本の魅力にとりつかれましたが,何しろ大部の本なのでその全貌を捉えることができずストレスを感じていたのですが,この内容をスライド59ページにまとめてくださった人がいます.

「ホモデウス図解,要約してみた」  by nogacchi

このスライドのおかげで漸くこの本の全体像が(ぼんやりと)見えてきました.そうすると今度は本の中の話の流れを自分流に書き直し.更にその内容について人に話したい,という気持ちがおきてきました.
先日理学部の学生向けのオムニバスの講義で,「機械学習」について話をする機会があったのですが,これ幸いとこの講義時間の一部を使って,データサイエンスの意義を説明するために,上記のまとめを利用しながら私流のホモ・デウスの解釈を述べてみました.
今回はそのこの内容について紹介したいと思います.

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まず,ホモ・デウスにおける(皆さんがいま学んでいる)サイエンス(自然科学)の位置づけについて確認しておきます.そのために人間をプロセッサーとして見たときの人類の能力の変遷についてどのように理解できるのか紹介します。
人間を一人ひとりではなく,集団としての人間の機能(プロセッサーに例えることにする)がどう拡大してきたのか,という観点から歴史を見直してみると,次のような流れになるでしょう:

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1.認知革命(プロセッサーの数が増えた)
人類はいまか7万年くらい前に,実際には存在しないものを頭の中に想像しそれを他人と,共有できるようになった(認知革命).
これによっ人類は想像の中にしか存在しないものについて語り,それを他人と共有できるようになった.これによって共同主観的ネットワークが形成されるようになる.

2.農業革命(高度な局地的プロセッサーの誕生)
約1万2000年前に農業革命が起こる.人類は農作を始めそれまでの常に移動する狩猟生活から定住生活に移行した.農耕によりそれまでより大きな村が形成されるようになった.共同主観的ネットワークは拡大して,様々な神々の物語に発展し宗教が生まれた.

3.書字と貨幣(プロセッサー間の接続が増えた)
約5000年前に書字と貨幣が発明された(シュメール人)事により巨大な王国が成立した.共同主観的事実(宗教など)が生活の重要な規範となった.

4.科学革命(サイエンスによる飛躍的発達,世界的ネットワークの構築)
やがて(約500年前の)科学革命とともに異なる都市や王国の間の結びつきが強まり,それは21世紀現在の世界を巡るネットワークに繋がっていく.ところでその一方で科学は人間から神を奪い去ってしまった.今や宗教は人間の進むべき道を与える大きな力にはなってくれない.そして宗教に代わって人間至上主義が人類の行動に対する指針の基準となっている.
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人類の現状は経済成長と生態系の保護という2つのレースを同時にこなしているようなものです.これまでは科学技術の絶え間ない進歩により人類はこのレースをここまで駆け抜けることができてきました.しかし現在,人々はこのようレースを続けることにストレスを感じています.

ところで現在人類の生活レベルはこれまで我々を苦しめてきた飢餓,伝染病,戦争という3つの厄災をほとんど克服した,といっていいところまで向上しています.「人間至上主義は実現された」といってもいいでしょう.そして今や科学技術(特に生命科学の発展)は「不老・不死の実現」といった神のレベルまで人間をアップデートしようとしているのです.(ホモ・デウスというのはこのような神の特性を持った人間のことです.)

しかしながら現代の人々の幸福度は必ずしも高くなく特に先進国ほど自殺率が高いなど経済成長は幸福感につながらないことが分かっています.実際に人間は「幸福感を持ち続けることができない」という特性によってこれまで生き残ることができたのですからこれはある意味自然なことです.

ところで最近の脳科学の研究は,人間が「意識」を持っている(人間至上主義の根拠となる信念)という主張に対して疑問を投げかけています.実際

「人間の様々な価値観の基本になるのは虚構の物語に過ぎないのではないか.虚構の価値観を目的化してはならない」

という考えに基づいて人類の未来について考察するのは意味のあることのように思えます.では

「意識というものは存在しない」

として,

「生命とは外的な刺激にどのように対応するかという手順を定めたアルゴリズムに過ぎない」,

という仮定を採用してみましょう.そうするとむしろこのような仮定に基づいて行動をコントロールするほうが好結果を生むことが様々な実験によって確かめられています.そう遠くない未来に多くの職業はアルゴリズム(AI)に取って代わられ,人類の大半は経済的価値を失う可能性が少なくないのです.

つまり,ホモ・デウスを目指す,ということは人間至上主義の崩壊につながると言えるでしょう.

このような進歩の行き着く先として次のような未来を描くことができるでしょう:

自由主義は崩壊して社会はごく一部のホモ・デウスのみがアップデートされ続け,大部分の人間はアップデートされることもなく,データ至上主義という新しい宗教に基づくアルゴリズムによって支配されるだけである.(ハラリはこのような社会構造を「新しいカースト制度」と呼んでいます.)

このような未来が本当に来るのかどうか,それは皆さんのような若い世代にかかっているのだと思います.そしてそこで来るべき社会に本質的な影響を与えるためにはデータサイエンスに対する正しい理解を持つことが必要であると考えます.どのような未来であれデータ至上主義がこれからの社会を支える最も重要なパラダイムになることは間違い無いからです.