王子様はキツネに何度も聞きます。
「apprivoiser」ってどういうこと。
この質問もはぐらかすような返事を繰り返していたキツネは
ついに
- C'est une chose trop oubliée, dit le renard.
それは、(忘れちゃいけないのに)忘れていることだよ。
Ça signifie "créer des liens..."
それは「つながりをつくる」という意味なんだ。
と答えます。更にそれに続く会話の中で
On ne connaît que les choses que l'on apprivoise
人はapprivoiserしたものしか、わかることはできないんだ。
Tu deviens responsable pour toujours de ce que tu as apprivoisé.
いつだって、君は、君がapprivoiséしたものに責任を持たなくちゃいけないんだ。
という言葉が出てきます。
オリンピックレベルのスポーツ選手は私などどれだけ練習し
ても同じようにできるとは思えない身体の動きをしています。
私は「apprivoisé(原型はapprivoiser)」という単語には、
「このような並外れた身体能力を持つ人々と私を分ける壁」、
というイメージを持っています。あの人たちは身体を
apprivoiserしたからこそあのような境地に至ったのだ」とい
う感覚ですね。レベルの低い話で申し訳ないのですが、オカ
リナを吹いているとき私は自分が吹き込んだ息を常にホール
を抑えている指で感じるようにしています。その感覚を意識
しながら演奏をすると、オカリナが自分の体の一部になった
ように感じられるのです。これがまさにapprivoiserした、と
いうことではないかと思います。そう思って振り返ると、数学
と私の関係もapprivoiserという言葉で表現できるような気が
します。
まだ専門分野が決まっていない学部生のころ、やみくもにゼミ
のテキストを読んでいるうちに、ある時「そうか、この分野は
要するにこのようなことを研究する分野なんだ」という感じが
分かって、それから勉強がとても楽になったのを覚えています。
そして結局それが自分の生涯の研究テーマになったのです。
キツネは「つながりをつくること」と表現していますが
サンテグジュペリが使った apprivoiserにあう日本語は
「一体になる」
ではないか、という気がします。そう思ったときキツネのことば
Tu deviens responsable pour toujours de ce que tu
as apprivoisé.
いつだって、君は、君がapprivoiséしたものに責任を持たなくちゃいけないんだ。
はストンと、私の中に落ちてくるのですが、皆さんはいかがですか。