2012年4月28日土曜日

本校百年の歴史から(補足)

1911年県立奈良高等女学校を譲り受けて、
(後に奈良市立実家高等女学校も加えて)
附属高等女学校が開講しました。
現在の大学の講堂のところに建っていました。
近くに「よしき川」が流れており、柳が綺麗に植え
られていていたということです。この風景に因んで
柳の汀(みぎわ)会、柳汀会、という名称が生まれ
たそうです。

2012年4月25日水曜日

音楽を楽しむ

私が子供の頃は「音楽を楽しむ」という言葉には、
今に比べてとても狭い意味しかなかったように
思います。普通はラジオやテレビを通して聞ける
歌謡曲、そしてせいぜいレコードを買ってきて
聞く、とうことが主体でした。要するに受身の
音楽ですね。
ところが、やがてフォークソングが出現、ギターを
かき鳴らしながら自分で歌うというスタイルが
流行り、そしてカラオケが出現、自分で歌うという
スタイルがだんだんと広がってゆきます。

その後、どのような流れがあったのよくわかりませんが、
最近は街中で様々な楽器を抱えた人を見かけることが
多くなりました。また草の根的な、音楽活動も色々な
レベルでまた様々な分野で行われているようです。

むかし(私が子どもの頃)の楽器というと「子どもの
ためのピアノ教室」というイメージが有りました。
要するに、子どもに正統派の音楽をきっちりと教える、
という感覚ですね。
今の音楽の普及の様子を見ていると、日本に文化としての
音楽が根づいてきた、のだと感じられて、とても好ましい
ものと思えるのですが・・・

奈良県では今年6月に

なら音楽の祝祭2012

を開催します。

数学科の地位(3)

かつては奇人変人の集まりで、「学生の教育よりも
研究第一」という態度でもいくらでも学生が集まって
いた時代はやがておわり、いまや理学部は人気学科で
はなくなり、更に理学部の中でも生物、化学が人気学
科で数学・物理は入試で苦戦しています。

数学科で、新入生に対してしていた本格的な講義も
いまや旧帝大ですら成立しなくなっています。

「むかしは良かった」と嘆いている先生もおられる
ようですが私は、決してそんなことはないと、そして
数学は着々とこの日本の社会の中に浸透していってい
ると、そのように考えています。

2012年4月23日月曜日

本校100年の歴史に関して(4)

これはK山先生が講演で言われていたことですが、
2009年文科省から「国立大学附属学校の新た
な活用方策等」という指針が提示されました。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2009/04/02/1259551_15.pdf

この中の
7.附属学校の従来からの役割の充実

・大学・学部における研究への協力
・教育実習
の充実が指導されていますが、中の個々の項目を
見てみると本校創立時の目的

===============
・女子に須要(:しゅよう:なくてはならない)な
高等教育を施し
・その方法の研究に資し
・奈良女子高等師範学校の教育実習の場とする
===============

と概ね一致します。設置時の理念の先見性が
思われます。

では、次の100年で本校はどんな役割を果すのか。
いま社会が必要とする人材像はかなり明らかになって
きているように思います。おそらく次の100年は
そのような人材、特に各方面でリーダーとなれる
人材の育成が教育機関の大きな役割になるのだと
思います。


2012年4月22日日曜日

本校100年の歴史に関して(3)

○そして、現在に直近のターニングポイントは
2004年の国立大学の法人化に伴う、文学部の
附属から大学の附属への移行でしょう。

それに先立つ2000年に
6,3,3制に代わる制度のモデル校として、
東大の附属、名大の附属と一緒に中等一貫校に
なった訳ですが、この時には(具体的な表現は
書くと差し障りがあるかもしれないので書きま
せんが)文科省からは強い指導があったようです。
この時に教員の7名増、総合教育棟の建設が
実現しています。


2012年4月21日土曜日

本校100年の歴史に関して(2)

○本校の次のターニングポイントは、1958年(:私の生まれた年です)
の移転でしょう。移転先は米軍キャンプ地で米軍が使用していた
病院、体育館、劇場などの改修して利用したとのことです。
(体育館の2回にはボーリング場があるなど立派な施設であった
ようです。)

その後、特別教室、プール、生徒ホール(購買部、食堂)等が
次々と建設され施設は充実していきました。
(1968年からは校舎の全面改修が行われています。)

○上記のものほどはっきりした形では見えませんが、
1969年の文部省の国立大学附属のエリート化を懸念する通知
1971年の中教審による6年一貫教育の「先導的試行の一形態」
との指摘も大きなターニングポイントであったことに間違いありま
せん。

本校100年の歴史に関して

3月24日のK山先生の講演をお聞きして、色々と感じた
事をつれづれなるままに書いてみます。

○本校の創立
まず本校の創立に関して
1908年に奈良女子高等師範学校が開講
1911年に奈良県立奈良高等女学校を母体として
附属高等女学校が設置される。

△設置目的は

・女子に須要(:しゅよう:なくてはならない)な
高等教育を施し
・その方法の研究に資し
・奈良女子高等師範学校の教育実習の場とする

とし、また

△一般高等女学校にたいする規範となることを
めざす
△良妻賢母をめざす教育を実施する
△奈良県と密接な関係にある地域の女学校たるべき

とされました。


○本校のターニングポイント

本校の最大のターニングポイントはやはり大戦後の
1948年の新制附属高等学校としての再出発でしょう。
1949年に奈良女子高等師範学校が奈良女子大学とし
て改組・昇格を果たしたときに、文部省の
奈良学芸大学(奈良教育大学)への
移管の内示があったのですが、これを覆したとのこと・・・
一体そこではどんな気持ちがぶつかり合ったのか。

2012年4月17日火曜日

数学科の地位(2)

今は、私が数学科に入学した頃とは変わって理学部は人気学科で
は無くなりましたし、理学部内での人気も生物、化学が高くて、
数学、物理が低いということになっています。
数学科の先生も、むかしに比べてエキセントリックな方は
だんだん減ってきて世間の常識が通用する人が多くなってきました。

(そういえば、超関数で有名なS先生が談話会に来られたこと
があるのですが、最初はなんだかぼんやりとした話ばかり
をされていて、なかなか本題に入らずに、そのまま1時間の
講演時間が終わろうとすることに、エンジンがかかりました。
講演時間が終わる頃にようやく本題の話が始まりそのまま
当時の最先端の結果について最後まで話し切った、という
ことがありました。まあこれは当時でもかなり特別な例でし
たが、これに近いことは別に珍しくも有りませんでした。)

ある意味、奇人・変人の集まりであったと言えますね。

2012年4月16日月曜日

数学科の地位

私が大学に入学した頃は、原子力は夢のエネルギーで、
それについて研究する物理学科は一番の人気学科でした。
理学部は、医学部につぐ難関学科でその中でも物理学科の
難易度は一番で、それについで数学科、化学科、生物学科
という順番がありました。
その頃の、物理、数学の大学の先生方はある種のエリート
意識をもっていた方が多数おられました。学生に対しても
「解りやすい講義」という気持ちはあまりなくて、むしろ
「難しい」(もう少し、良心的に言うと「本格的な」)
講義をすることが、大切と考えておられたようです。
私が、大学の数学科に入学して初めて受けた数学の
講義でも、小テストの出来があまりに悪かったので
担当の教授が「数学は才能がない人がやっても無駄だから、
自分が数学に向いていないと感じたら、早くほかの学科に
転科するなど、進路を変えたほうがいいですよ」と
いわれて、激しく落ち込んだのを憶えています。

2012年4月12日木曜日

量子力学とテレポテーション(2)


1935 年にアインシュタインはポドルスキー、ローゼンと共に量子力学の
刺客としての最後の論文を発表しました。今日「エンタングルメント(絡
み合い)」と呼ばれている現象について書かれたこの論文は光速を超える
速さで情報を伝達できる可能性について述べていました。当初「アイン
シュタイン‐ポドルスキー‐ローゼン(EPR)のパラドックス」と呼ば れたこ
の現象をもってアインシュタインは量子力学には不備があると主張した
のです。

この論文 について知らされたボーアは激しく動揺したということですが、
すぐに彼は全力で 反論を試み、物理学の大勢としてはこの論争は最終的
にボーアが勝利したと言うことに 落ち着いたようです。

ところが 1960 年代に入ってベルが「EPR のパラドックス」が決してパラ
ドックスではなく実際に起きうる現象であることを注意し更に 1970 年代
にはいってエンタングルメントは実験室で観測できるようになったのです。
結局アインシュタインは EPR の論文の中で、本人の意思に反して、正し
いことを主張していたのでした。(なお 1997 年にはエンタングルメントを
利用してある粒子の状態を遠く離れたところに転送する「量子テレポテー
ション」の実験も成功しているとのことです。量子力学の研究は私の想像
力をはるかに超えた速さで進展しているようです。)

2012年4月11日水曜日

量子力学とテレポテーション

学生時代から物理は苦手でコンプレックスを持っているのですが、最近
少し思うところが あって量子力学の勉強を始めました。実際にはとりあ
えず量子力学に関する通俗書を買いあ さって読み散らかしているだけな
のですがこの類の本にも質の高いものがたくさんあって、楽しませて
もらっています。

例えば 1927 年頃からアインシュタインとボー アは量子力学の正当性に関
する論争をくりひろげていました。これについては、以前は「量子力学の
発展にについてゆけなくなったアインシュタインが量子力学にけちをつけ
続けた」と言っ た程度に思っていたのですが、事実はかなり違っているこ
とを知ることができました。

このアインシュタインとボーアの論争は主にソルヴェイ会議の場で行われ
たのですが、その様子を生き生きと描写した記録が残っています。ある時
アインシュタインは光子(光の最小単位である粒子)が入った箱を一瞬開け
て光子が一個だけ外に飛び出すような実験装置を提案しました(もちろん
これは議論のために考えた思考実験のためのそうちですが)。そして光子
が箱から飛び出したかどうかはこの装置の質量を計れば確実にわかるが、
これは量子力学の主要な帰結である不確定性原理に反する、と主張した
ということです(このあたりの議論になるともはや私にはついていけませ
ん)。ボーアはこれに対して光子が箱から飛び出すことによって重力場に
ずれが生じる(これはアインシュタインの相対性理論の帰結です)とがこのず
れが箱の質量の決定に対して不確かさをもたらす、と反論し・・そして
アインシュタインはこの反論を受け入れたということです。

2012年4月9日月曜日

始業式講話


始業式講話

2年間奈良新聞にパズルの連載をしていました.
そこでだした川渡りパズルの一つを紹介しましょう。
(もちろん私のオリジナルというわけではなく,よく知られた
パズルです)

子犬一匹と子猫二匹をつれた子供が小川を渡ろうとしています。
子供は一度に一匹しかつれて川を渡れません。また子供が子犬
と子猫から目を離すと、子犬は子猫にいたずらをしてしまいま
す。子猫がいたずらをされないように皆が川を渡るにはどのよ
うにすればよいでしょうか。

さて、では話題を変えて、すこし暗号のお話をしたいと思いま
す。暗号というのは、たとえば皆さんが友達に手紙か何かを使
って何か秘密のメッセージを送りたい、といった状況で、その
手紙が途中で誰かに見られても何が書かれているか分からない
ようにする技術、です。

なんだか、ややこしい言い方になってしまいましたが、要する
に「あした、朝、公園」といったメッセージを授業中に隣にす
わっている友達に渡したい、といった状況を考えます。このと
き「あ」を「か」、「し」を「き」、「た」を「く」、「さ」
を「け」、「こ」を「こ」、「う」を「さ」、「え」を「い」、
「ん」を「た」に置き換えることにすると、「あしたあさこう
えん」は「かきくかけこさいた」という意味不明の文章になっ
てしまって。このメッセージを先生に見られても、何が書いて
あるかは、先生には分からない・・・という訳です。でこれを
受け取った友達は、さっきの文字の置き換えを逆に適用してや
れば、「あしたあさこうえん」というメッセージが読み取れる、
というわけです。

ところで、このメッセージを受け取った友達は予めどのように
文字を置き換えたのかを知っていなければ、このメッセージを
受け取っても、もとの文章を知ることはできません。

ここで問題です。このような予めの打合せをしなければ、二人
は秘密のメッセージをやり取りすることは出来ないのでしょう
か。実際に、大切な状況でこのような暗号を使うことを考えて
みてください。予めの打合せなしに秘密のメッセージをやり取
りすることができたらどんなに便利でしょうか。例えばインタ
ーネットで、自分のほしい服を売っているネットショップを見
つけたとします。皆さんはすぐにでもクレジットカードの番号
をショップに送って購入の手続をしたい、と思っています。し
かしそのクレジットカードの番号をショップのホームページに
あるフォームに書き入れて送信すると、その番号は中継点となる
サイトで覗き見ることが出来るのです。インターネットという
のは決して魔法のネットワークではありません。基本的にはそ
こに流れている情報は、0か1を表す信号であり、それを盗み
見するのは全く難しいことではないのです。そこでこのカード
番号を暗号化して送る必要があるのですが、暗号を使うために
はあなたとショップの間で予めどんな暗号を使うのか決めてお
く必要があります。どんな暗号を使うのかをどうやって連絡す
るのか?インターネットでどんな暗号を使うのか連絡しても途
中で盗み見されてしまうのです。では、どうすればよいか?一
番確実なのはあなたが自分でその方法をショップに伝えに行く
のですが、そのためにショップのあるところまで行くことにな
ったらインターネットを使う意味はないでしょう。

ちょっとややこしいのでまとめてみましょう。皆さんは自分の
南京錠と鍵を持っています。この南京錠で鍵をかけたメッセー
ジを友達に送れば途中でそれを盗み見されることはありません。
しかしこの南京錠を開けることの出来る鍵は自分(皆さん自身
ですね)しか持っていないのです。ですからこの鍵のかかった
メッセージを受け取った友達はこれを開けることは出来ません。
直接、鍵を友達のところに持っていけば問題はないのですが、
それをするくらいだったら直接メッセージを伝えれば良いです
よね。鍵を送ること無く、秘密にメッセージを送る方法はない
のか。これは暗号理論で「鍵配送問題」と呼ばれている問題です。

歴史上暗号は2千年以上使われてきましたがこの問題は常に暗号
を使う人たちを悩ませてきたのです。例えば第2次世界大戦では
ドイツ軍はエニグマと呼ばれる暗号を使っていましたが、安全の
ためにドイツ軍は毎日違った暗号方式を使っていました。毎日ど
んな暗号を使うのか書かれた本を数ヶ月に一度前線に送る必要が
有りましたが、この本が、もしも敵の手に渡ったら、数ヶ月の間
筒抜けになってしまう危険があるのです。実際この危険性はドイツ
軍にとってアキレス腱となっていたのです。 


1970年代になっても鍵配送問題は依然として暗号における本質的
問題でした.当時既に金融のシステムなどのオンライン化が行わ
れていましたが,暗号を使って安全に情報のやりとりを行うには
鍵を安全に配送できることが大前提でした.鍵を安全に配送する
方法は,さっきも述べたように人が運ぶことです.当時は政府の
高度な情報や金融の情報を扱うための鍵は人が運んで届けていた
ということです.このためのコストは膨大になり,政府や金融界
の大きな悩みのタネになりました.「鍵配送問題は本質的に解決
できない」当時の多くの人々はそう信じていたのではないでしょうか.

くどいようですが、もう一度問題を整理しておきましょう。皆さ
んはそれぞれ南京錠をもっています。南京錠というのはカチッと
かけることの出来る錠(じょう)とそれをあけることのできる鍵
から出来ています。皆さんはそれぞれ錠とそれにあった鍵をもっ
ています。但し、あなたの持っている鍵で友達の錠を開けることは
できません。あなたは、メッセージに錠をカチッとかけて友だちに
送ることが出来ます。こうすれば、途中で手紙を盗み見することは
できません。ただしこのままでは受け取った友達も手紙を見ること
は出来ません。(当たり前ですね。)なんとかうまくメッセージを、
途中で盗み見されることの無いように、友達に送ってください。

そのためにどうすればよいか。まず出来ることはそんなには有りま
せんよね。あなたは自分の錠を手紙の入った箱にかけて、友達に送
ります。受け取った友達はそれを開けることはできません。ではど
うするか。とりあえず出来ることは自分の錠をその箱にかけるくら
いしか有りませんね。では友達はその箱に錠をかけます。友達の手
元には錠が2個かかった箱があります。とりあえずこれをあなたの
ところに送り返します。あなたの手元には錠が2個かかった箱がき
ました。さてどうします。できることは・・・そう、自分の鍵を使
って自分の錠を外すことです。そうすると手元には友達の鍵だけが
かかった箱が残りました。これを友達のところに送り返すと、・・・
友達はこの錠を自分の鍵を使って外すことができます。そう、これ
は鍵配送問題の解決になっています。

この考え方は、それまでの暗号の常識をくつがえす、大きな突破口
でした。この考え方はそのままでは実際にインターネットで使える
暗号にはなりませんでしたが、この考え方の上にいくつかのアイデ
ィアを積み上げることにより、現在インターネットで使われている
暗号が考案されたのでした。

さて、今日私は何が言いたいのか、・・・今日渡しが皆さんにお伝
えしたいメッセージは、本当に革新的なアイディアというのは、と
ても単純ですっきりしたものである、ということです。

さて昨年3月11日に起きた東日本大震災とそれに続く津波、そし
て原発事故は現在も多くの人たちの生活に大きな影響を与え続けて
います。特に原発事故に関する報告書がいくつも発表されています。
わたしも「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検討委員
会」の中間報告書を読んでみましたが、特にその中でも福島第一原
発のAC(非常要復水器)がどのように動作したのか検証している部
分は非常に興味深かったです。

いま、この非常復水器の動作、この一点だけに絞って、確認したい
と思います。(以下の内容は「東京電力福島原子力発電所における
事故調査・検討委員会」の報告書とNHKの番組に基づきます。)
まず原子力発電の原理からです。原子力発電というのは

「放射性物質の核分裂という仕組みによって発生する熱で、水を沸
騰させその蒸気で発電機のタービンを回して発電をする」

という事で良さそうです。(あまり自信が無いので弱気の記述です。)

この核分裂を起こさせる仕組みについてですが、実際には燃料棒と
呼ばれる細長い棒状にした放射性物質を何本も並べます、そうする
と「核分裂の連鎖反応」が起こって、何もしないでも、燃料棒の温
度が勝手に上がっていきます。
(ほおっておくと、2000度以上?(:自信がない)にまで上がり、
燃料棒はその熱でどろどろに溶けてしまいます。これが「メルトダ
ウン」と呼ばれる現象です。)そこでこの燃料棒の束を水没させる
と、その熱で水が沸騰して蒸気が発生するというわけです。

さて原子力発電所は地震などの災害が起きたときに、原子炉の制御
が不能にならないように、緊急にその動きを止めるための仕組みを
準備しています。
福島第一原発の場合、地震が発生して2秒後に燃料棒の間に制御棒と
呼ばれる核分裂反応を抑えるための棒が一斉に差し込まれ原子炉の
運転は停止しました。
ただし、制御棒によって原子炉の運転が停止したとしても、燃料棒
は依然として熱を発し続け、そのままほっておくとメルトダウンが
起こってしまいます。そこで、この熱を冷やすために水を原子炉に
おくりそこで熱せられた水を外に送り出す、といった具合に水を循
環させて原子炉を冷やし続ける必要があります。

通常はこの水の循環は電気で動くモーターを動力として行われ、こ
の動力の電源が、例えば送電線の事故によって、届かなくなった時
に備えて、発電所内にディーゼルエンジンで発電する発電機を備え、
さらにそれが何らかの原因で動かなくなったときに備えて非常用の
バッテリーも準備されています。まあ、一言で言うと3重の安全装
置で守られている、ということですね。

さらに福島第一原発にはこれらの電源がすべて失われたときに備え
て、電気が無くても原子炉が冷却できる仕組みが装備されていまし
た。これが非常要復水器(AC)です。
さてACは「全電源喪失時(外部電源もディーゼル発電機もバッテリ
ーも使えなくなった時)」に原子炉を冷却するための仕組みです。
構造的には原子炉に2箇所穴をあけてそれをパイプで繋いだもので、
このパイプの途中部分が冷却用の水の中を通っています。原子炉で熱
せられて高温(200度以上?)になった蒸気はこのパイプを通って
いき、冷却用の水によって冷やされ、原子炉に戻ります。このとき冷
却水は熱せられて、蒸気となりますが、この蒸気は外部に排出されます。

福島第一原発ではこのACが2つ装備されています(それぞれA系統、B 
系統と呼ぶことにします)。A系統、B系統にはそれぞれ4つの弁が装備
されていて、合わせて8つの弁があります。それぞれの系統の弁を4つ
とも「開」にすると、ACが働き出します。一つでも「閉」になっている
と、ACは働きません。


午後14時46分:地震発生、
直後に原子炉では全制御棒が挿入された。外部電源で原子炉を冷却しよ
うとしたが、地震の影響で外部電源は供給されなかった。非常用ディー
ゼル発電機が発動、電気を供給する。また、このときACも2系統(A
統、B系統)ともすべての弁が開となり起動。なおこれらの弁は電気によ
って開閉を行う。

冷却水の循環と、ACの併用では「原子炉が冷えすぎる」のでACについて
は、B系統は閉じてA系統で、3つの弁を開にしておいて、残りの一つの弁
の「開閉」によってコントロールすることにした。(実際この方法で津波
がきて全電源喪失するまで、原子炉の温度を管理していた。)

(15時27分、15時35分に津波が到着、ディーゼル発電機、バッテ
リー、電源盤が水没して全電源喪失
→その結果、中央制御室ではすべての計器が動作しなくなった)
ACの弁の開閉も分からなくなった、
また
ACは全電源喪失時にはすべての弁が閉じるようになっていたが当直はその
ことを思いを致していなかった(報告書の表現をそのまま使いました。)
この時点でACのすべての弁は閉じられてしまいました。

2011年3月11日15時27分、と35分に大津波が福島第一原発を
襲い、その結果原発では全電源を喪失して原子炉に冷却水が循環できなく
なり、また
非常要復水器(AC)の8個の弁もすべて閉となり、原子炉は全く冷却でき
ない状態になっていました。

しかし、この全電源を失ったため、このACの状態は誰も把握することが
出来ませんでした。また全電源喪失時にACの弁がすべて閉になることに
気がついているものもいませんでした。

このように一切の冷却機能が失われた原子炉に何が起こるのか分かって
いるひとは、極端な言い方ですが、日本には誰ひとりとしていなかった
ようです。NHKで事故後3ヶ月かけてこの時の原子炉の状態をシミュレ
ートしたところ原子炉は次のような状態であったようです。

電源を消失後原子炉の水位は急激に減少、1時間15分後(午後5時頃)燃
料棒の上まで下がる。

4時間39分後(午後8時15分頃)燃料は完全に露出メルトダウンが始まる。
(そう、メルトダウンは地震のあったその日に既に起こっており、福島
第一原発は大量の放射性物質をまき散らしていたのでした。)

さて、福島の原発の事故に関してはあまりにも多くのことが絡んでおり、
単純に「何がよかった、悪かったといった議論はすべきではない」、と
考えています。しかしその一方で私たちは、この事故から沢山のことを
学ばなければなりません。今日私は非常用復水器の311日の、ほんの
数時間の動作についてだけお話をしました。もし、この時、非常用復水
器が正しく使われていたら、・・・このように考えるのは意味のないこ
とと分かっていても、やはり悔やまれてなりません。いまこうやってあ
の日に起きたことを振り返ったとき皆さんはどのような感想を持たれた
でしょうか。

私には、ここにあったのは、例えば暗号の鍵配送問題を解決したような
単純で力強いアイディアの正反対ものであったように思えます。

さて新しい学年が始まりました。皆さんはまた新しい経験をこれから積
み上げてゆくことになるでしょう。新しいことは皆さんに時には期待だ
けではなく、不安を起こさせることもあるでしょう。私は、今日皆さんに

力強い、考えは単純である

というメッセージを送りたいと思います。
このメッセージが皆さんにとってお役に立つことを祈りつつ、私の今日
のお話を終わりたいと思います。

2012年4月5日木曜日

生涯学び続け、主体的に学ぶ力(4)

1984年から85年にかけて、カリフォルニア大学の
研究所に滞在しました。その時に、感じたことですが、
・アメリカの学生は学力は日本の学生にくらべて低いけれど
新しいことを知った喜びを、とても素直に表現する、
・学部レベルでの学力は日本に劣るのだけれど、大学院
に入ってから急激に伸びて世界的なレベルに到達する人が
たくさんいる。
・比較的歳をとってからも研究対象を大きく変える人が
珍しくない。

私には「生涯・主体的に学び続ける」という言葉には、
このようなイメージがあります。
一言でまとめるなら

「のびしろの大きな人間を作る」

と言う事になるでしょうか。

2012年4月4日水曜日

生涯学び続け、主体的に学ぶ力(3)



=====================================
○ このような状況やそれを踏まえた社会や国民の学士課程教育への高い期待を考え
た時、その質的転換のための具体的な行動が直ちに開始され、すべての大学の学士
課程教育が質的転換のために大きく動き出し、成果を上げ、その実感を学生や保護
者、企業、地域、地方公共団体、非営利法人等、広く社会が共有し、大学の学びへ
の信頼が高まるという好循環が形成されることが求められるのである。また、学士
課程教育の質的転換を進めることは、我が国全体に今求められている様々な改革に
資することにつながる。
=====================================

いろいろと突っ込みたいところはあるのですが、「不適切な発言」をしてしまい
そうな気がするので・・・

=====================================
(質的転換を目的とした学修時間の実質的な増加・確保)
・・・
○ このような観点から、学生の主体的な学びを確立し、学士課程教育の質を飛躍的
に充実させる目的に照らして、十分な質を伴った学修時間が実質的に増加・確保さ
れているかに着目することが、学士課程教育の改善の好循環を作り出す始点となる
と考える(別添2参照)。
=====================================

えっ、結論はそこに落ちるのですか。
うーーん、中教育審議会の文書にしては余裕が感じられない、・・・それだけ
教育界も切羽詰っているということでしょうか。

とにかくよく分からないけれど気になる文書です。

2012年4月3日火曜日

生涯学び続け、主体的に考える力


==============================
○ 予測困難な時代にあって生涯学び続け、主体的に考える力を持った人材は、受動
的な学修経験では育成できない。求められる質の高い学士課程教育とは、教員と学
生とが意思疎通を図りつつ、学生同士が切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的
に成長する課題解決型の能動的学修(アクティブ・ラーニング(※)
)によって、学生
の思考力や表現力を引き出し、その知性を鍛える双方向の講義、演習、実験、実習
や実技等の授業を中心とした教育である。
===============================

そうですね。

===============================
このような質の高い授業のためには、授業ための事
前の準備(資料の下調べや読書、思考、学生同士の議論など)、授業の受講(教員の
直接指導、その中での教員と学生、学生同士の対話や意思疎通など)、事後の展開(授
業内容の確認や理解の深化のための探究、さらなる討論や対話など)やインターン
シップやサービス・ラーニング(※)
等の体験活動など、事前の準備、授業の受講、事
後の展開を通した主体的な学びに要する総学修時間の確保が重要である。
===============================

はい、確かに学生が主体的に学ぶ時間の確保は重要です。
あたり前のことですが、時間を確保した上でその時間をちゃんと
学びの時間に当てるようにしてもらうことも必要ですね

===============================
教員が行
う授業は、このような事前の準備、授業の受講、事後の展開といった学修の過程全
体を成り立たせる核であり、学生の興味を引き出し、事前の準備や事後の展開など
が適切・有効に行われるように工夫することが求められる。
===============================

これもごもっともですが、実際にこれに対応してもらうのは、
研究を第一と考えておられる先生には、かなりハードルが高いですね。

ところで、
政策段階まで降りてきたたときには、こういう教育を実施している
大学には予算をつける、という形になるでしょうか。


2012年4月2日月曜日

生涯学び続け、主体的に考える力


3月26日に
中央教育審議会大学分科会大学教育部会の審議まとめ

「予測困難な時代において
生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」

が公開されました。

========================================
・・・高度成長期の社会において通用していた「企業は大学教育に多く
を期待しておらず、入社後の社内教育と実務上の経験や実践で人材を伸ばしている」、
昔から大学生は勉強しておらず、それでも卒業後社会で十分に活躍してきた」と
いった認識は転換することを迫られている。
========================================

はい。

========================================
○ すなわち、学生にとって、大学において「答えのない問題」を発見してその原因
について考え、最善解を導くために必要な専門的知識及び汎用的能力を鍛えること、
あるいは、実習や体験活動などを伴う質の高い効果的な教育によって知的な基礎に
裏付けられた技術や技能を身に付けることは、学生が自らの人生を切り拓くための
最大の財産となっている。高度成長社会では均質な人材の供給を求めた産業界や地
域が今求めているのは、生涯学ぶ習慣や主体的に考える力を持ち、予測困難な時代
の中で、どんな状況にも対応できる多様な人材である。
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うーーん。いや、高等教育の目的はいまもむかしもそうだったと思いますが。
もっとも、企業は小難しい理屈をこねる人材よりも、言われたことを黙々と
こなす人のほうが好きなように見えるのは、私のひがみでしょうか。