2019年12月29日日曜日

サピエンス全史的視点からみたSociety 5.0の意義について(3)


幸福に関するガラスの天井

さてハラリはサピエンス全史で人類の過去について語ったのですが2018年(日本での発刊)にその続編であるホモデウスを発表,ここで人類の未来について論じています.

その中で彼はまず科学の発達は,これまで人間が戦ってきた三大苦難(飢餓,疫病,戦争)を事実上解決してしまった,と述べています.そして次に人類が目指すべき課題としては「幸福の追求」が挙げられますが,これに関しては人類はどうすればこれが実現できるのかわからなくなっているようにみえます.実際のところ,経済的により発展した先進国の人々は必ずしも発展途上国よりも幸福感を感じているとは限らないというデータが出ています(*).現実的には人間至上主義は自由主義との折り合いがつかなくなっていると言え,人類が進むべき方向性は一層不明確になってきています.

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(*)国連による世界での幸福度の調査報告については,例えば World Happiness Report 2019
があります.なお,ここで用いられている幸福度の指標は次の3つです.

(1) 主観的ウェルビーイング:想像できる最高の生活(life)を10点,最低の生活を0点とした時,あなたの現在の生活を点数化すると何点か?
(2) ポジティブな感情:次のいずれも,「はい」を1点,「いいえ」を0点とし,平均点を指標とする.1) 昨日,たくさん笑ったか(smile or laugh)? 2) 昨日の多くの時間を愉快だ(enjoyment)と感じていたか?
(3) ネガティブな感情:次のいずれも,「はい」を1点,「いいえ」を0点とし,平均点を指標とする.1) 昨日の多くの時間,憂い嘆いていたか(worry)? 2) 昨日の多くの時間,悲しんでいたか(sadness)? 3) 昨日の多くの時間,怒っていたか(anger)?

上の3つの指標については次のページに書かれていたものです.

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このことはブッダも問題としており(*)快感の追求は実は苦しみのもとに他ならない,渇望に人生の主導権を奪われないようにする必要がある,と述べています.


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(*)「ホモデウス」ユヴァル・ノア・ハラリ,第1章 幸福に対する権利
ここでいうブッダの教えは,いわゆる仏教の教えのことではなく,ブッダが編み出した自分の心を知るための方法(瞑想法)を指しています.
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2019年12月25日水曜日

サピエンス全史的視点からみたSociety 5.0の意義について(2)


科学革命の始まりと帝国主義・資本主義との蜜月時代

ハラリは15世紀に「科学革命」が起きたと言っています。
これはどういうことかと言うと「この世にはわからないことがたくさんある,そしてそれについて知ることは意味がある」という価値観を多くの人が共有できるようになったこと,と表現できます.それまでの

・神様はすべてを知っている,
・神の知らないことは重要でない,

という制限からの大きな飛躍となりました.この世の中には我々の知らないことがたくさんあって,それについて調べることにより我々の知識限りなく増大していくのだ,という信念が生まれたのだともいえるでしょう
このような革命は当初は航海技術など限られた中での有用性にとどまっていましたが、コロンブスのアメリカ大陸の発見(コロンブスが”発見”するずっと前からアメリカ大陸は存在していたのでこの表現は奇妙なのですが)をきっかけとして,(ヨーロッパの人々にとって)新しい世界がどんどん広がっていったのです.

王や貴族たちはこれらの新世界から財宝を略奪,そして征服しそこに住んでいる人々を奴隷として酷使することにより,それまで限られていた資源を増やせることに気が付きました.彼らは積極的に植民地開拓を始めますが,やがてそのの支配にあたっては(地理学や博物学を始めとする様々な)科学の力が非常に有力であることに気が付き,積極的に科学者を援助・活用するようになります(*).

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(*)帝国主義と科学者の関係の例
ナポレオンのエジプト遠征
1798年、ナポレオンがイギリスに打撃を与えるために敢行した遠征で最終的にイギリス軍に敗れました。ナポレオンは遠征にあたって、多くの学者を同行させました。彼らはロゼッタ=ストーンの発見という大成果をあげています。なお,このロゼッタ=ストーンが決め手となり,古代エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)が解読されました.

ダーウィンのビーグル号航海
1831年イギリス海軍のビーグル号は南米の調査のために5年間の航海に出発しましたがこの船に当時ケンブリッジ大学を卒業したばかりのチャールズ・ダーウィンが乗船していました.ダーウィンはこの公開中に立ち寄った各地の記録を残しました.特にガラパゴス諸島滞在時の資料は後に「種の起源」につながったのです.
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このような植民地開拓に多くの資金をつぎ込むことは,大きな富を生み出すこともあれば,全く成果が上がらないということもある,ある意味”賭け”のようなものでした.そこでもっと安全な,経済発展の方法をということで近代に入って「信用」に基づく経済制度が始まりました.ここでいう信用とは「私達の将来の資力は現在の資力よりも必ず大きくなる」という信念のことで,この”神話”に支えられた制度は「資本主義」と呼ばれています.この神話は、科学技術の絶え間ない発達により実際にうまく働きました(*).やがて18世紀には「産業革命」(Society 3.0)が起こりました.これにより,石炭を運動エネルギーに変える,といった具合にエネルギーを変換する技術が生まれたのです.より大きなエネルギーを利用できる様になったおかげでさらに進んだ科学技術の開発ができるようになる・・・という正のスパイラルが生じます.これを契機に人間社会はこれまで経験したことのない速さで発展していくことになり,それは現在につながっています.

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(*)資本主義の勝利
こでは話の流れを極端に単純化しましたが,サピエンス全史では資本主義が21世紀の基盤になるまでには単純な道筋ではありませんでした.ハラリは「ホモ・デウス」の中で資本主義が20世紀に起きた他2つの新しい宗教(「ナチズム」,「共産主義」)を打ち破り,21世紀の人類の基盤となったと述べています.
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さて資本主義・共産主義とナチズムとの争いであった第2次世界対戦が集結した後の1960年代アメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の間で、冷戦(核兵器の発達により大国間の直接的な戦闘が不可能となった状態)が起こります.両国は核兵器ミサイルを配備しボタン一つでいつ核戦争が始まってもおかしくない状態に陥ります.この時代,アメリカは核攻撃を受けても機能が停止しないクモの巣状にはられたネットワーク作る計画を立てます.1966年ARPANETに始まり順調に拡大したこのネットワークはやがてインターネットと呼ばれるようになります.1990年代に入ってインターネットは民間に開放され,それまで国家・マスコミが独占していた情報に誰でもがアクセスできるようになりました.GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)に代表されるIT企業が国家も凌ぐような権力を獲得,ここに情報社会(Society 4.0)が実現したのです.そして今,テクノロジーの進歩は人間の想像力を遥かに超えるスピードで進み,いつ私達のコントロール下から飛び出しても不思議では無い状況にあります.(*)

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(*)例えば2018年には中国で遺伝子操作ベビーが誕生しています.これは倫理的に大きな問題があると,指摘されていたにも関わらず,一人の科学者が秘密のうちに実施したものです.
またスエーデンでは体内にマイクロチップを埋め込む人々が増えています.このチップはアクセスキーやウォレット等の機能をもたせることができ,手をかざすだけで,会社のゲートを抜けたり,店の支払いができるようになります.
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2019年12月22日日曜日

サピエンス全史的視点からみたSociety 5.0の意義について


12月14日に開催された「数学・物理学・情報科学の研究交流シンポジウム」という集会で”サピエンス全史的視点から見たSociety 5.0の意義とポアンカレ埋め込みを用いた会話分析の紹介”という題目で講演しました.後半の「ポアンカレ埋め込みを用いた会話分析の紹介」は大学院生の鈴木ひかるさんの研究の紹介です.以下のポストで講演の前半部分内容を紹介します.


1.Society 5.0
 Society 5.0というのは第5期(2016年〜2020年)の日本科学技術基本法(*)にキャッチフレーズとして登場しました.なお,Society 5.0の具体的な定義は無いよう見えます.この表現は日本独特のものではないかと思います.2019年6月に閣議決定された「総合イノベーション戦略2019」(*)と言う報告です。ここではSociety 5.0の実現を我が国の目標と定め、そのために必要となる政策の方針について書かれています。

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(*)日本科学技術基本法
日本科学技術基本法(第5期)は

にあります.

(*)統合イノベーション戦略2019
統合イノベーション戦略2019の本文は


にあります.
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このSociety 5.0とは一体何なのか,どうも具体的なイメージが掴めないのでとりあえず検索したところまずはSociety 1.0〜4.0は次のように規定されています。

Society 1.0(狩猟社会),
Society 2.0(農耕社会),
Society 3.0(工業社会),
Society 4.0(情報社会).

そして、Society 5.0というのは、

IoTやAIによるビッグデータ活用・自動化によって起こる技術革新が実現する超スマート社会

と述べられています。これによって具体的に何が実現するか、という点については次のような例が挙げられています、

・遠隔医療
・ハイテク農業
・無人店舗

あくまでも個人的な意見ですが,これをもって農業革命や,工業革命に匹敵する社会構造の変化と捉えるのは違和感を感じます.但し,私自身は、この「Society 5.0」には単なる技術革新以上の可能性を感じており、「いま大きな変革の時期にある」、そして特に「若い人たちが今判断を間違えると大きな損をする可能性がある」ように思います。今日はそのあたりの私の考えついて皆さんに知っていただきたくお話をさせていただきます。

2.認知革命とSociety 1.0, 2.0
さて本講演の題目に挙げている「サピエンス全史」ですが世界で1200万部以上(2019年末)の売上を上げているベストセラーで著者のユヴァル・ノア・ハラリはイスラエル・ヘブライ大学の歴史学教授です.この本は、我々人類(ホモ・サピエンス)の歴史を壮大な視点で概観し、そしてその未来について問いかけています.彼はこの本の書き出しの部分でこの本の視点を「スパイ衛星の視点」(*)、と呼んでいます。

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(*)スパイ衛星の視点
ちなみに今から40年ほど前(1976年)に出版された「利己的な遺伝子」で著者のリチャード・ドーキンスは,「人間を含めたすべての生物は遺伝子の乗り物に過ぎない」,と述べ,生き物のすべての活動は遺伝子が自分たちを残そうとする「利己的な戦略」に基づく,と主張(なおこのような考えを個体淘汰説または遺伝子淘汰説といいこれの対極とする考え方に群淘汰説があります)当時大きな議論の的になりました.ドーキンスはこの本について「(鳥の目で見る:俯瞰的,のではなく)遺伝子瞰的な視点」と言っています.ハラリは別の出版(21 Lessons)でドーキンスについては言及していますが,「スパイ衛星の視点」というのはもしかしたらこれを意識した言葉なのかもしれません.
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では,その「スパイ衛星の視点」とはどういうものか見てみましょう.

サピエンス全史の書き出しは700万年前にヒト(ホモ属)とチンパンジーが分化したところから始まります.現人類のホモ・サピエンスの最古の先祖であるアウストラロピテクスは今から約400万年前〜200万年前にアフリカ東部に現れました。身長は120センチから140センチほどで脳の重さは500ccくらい(ホモ・サピエンスは1200〜1400ccくらい)ですが直立歩行をし簡単な石器を使っていたと言われます。彼らは決して強靭な体も、敏捷性も持たず植物を中心に、小動物や、肉食動物の食べ残した動物の骨を石器で割ってその髄を食べて地味に生きているニッチな存在でした。やがて250万年くらい前にその一部はアフリカを出て,ヨーロッパ、東南アジア、オーストラリアに進出、その先でいろいろなホモ属(*)に分化(地球上にはすくなくとも20数種類のホモ属が存在していたと言われています)してゆきます。

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(*)ホモ属
我々は分類上はホモ属というカテゴリーに属します.種という概念はこの”属”をさらに細かく分けるもので,例えば,「ホモ属はホモ・サピエンス,ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人),ホモ・エレクトス(北京原人,ジャワ原人),ホモ・フローレシエンシス等の種に分かれる」,といった使い方をします.種の違いというのは,「異なる種の間では子孫を残せない,あるいは子どもは作れるがその次の世代はできない」という特性があるそうです.ただこれに関しては2010年にScienceに発表された論文で,現代人の遺伝子の中には2%〜5%(:この割合は人によって異なります.現在のアフリカの人々の中には,ネアンデルタール人の遺伝子を持たない者もいるそうです)ネアンデルタール人の遺伝子が混じっていることが報告されました.ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の交雑はかろうじて可能であったようです.
なお,これも最近の話題ですが,2008年に4万1千年前のものと思われる新たなホモ属の骨がロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟で発見されています(デニソワ人).彼らは現生人類の一部(日本人も含まれるという情報もあります)と遺伝子情報を部分的に共有する可能性が高い,とのことです.
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これらのホモ属の脳の容量は次第に増加し、80万年~30万年前には道具・火を使い、言葉を獲得し簡単な会話をしていたと言われています。ホモ・サピエンスは今から約7万年前にアフリカから移動を始め一部はインドを経て東南アジア、オーストラリアにまた一部はシベリア、アラスカを経て、北アメリカ、1万3千年前には,ついに南アメリカに南端に到達,世界中に拡散しました.なお,ホモ・サピエンスに先立ってアフリカを出て各地に定着していた他のホモ属たちですが,彼らはホモ・サピエンスがやってきた途端に絶滅をしています。なぜ彼らは絶滅しなければならなかったのか,その確かな理由はまだわかっていませんが,ハラリはホモ・サピエンスは言語の使い方が変わり(*)、彼らが虚構(嘘)を共有できるようになったことがその鍵ではないかと述べています。ここで虚構というのは例えば:

・我々は特別な集団だ。
・勇敢に戦って死んだものは死後に今よりもずっと素晴らしい世界に行ける。

といった主張のことです.ポイントは架空の事実に基づく思考や抽象的な思考による「虚構」を通して、ダンバー数(*)を超えて互いに協力できる仲間の人数が限りなく多くなったということです。ネアンデルタール人は個体だけを見ると,ホモ・サピエンスより優れた体力,知力(脳の容量はホモ・サピエンスより大きかったことよりそのように推察されています)を持っていましたが彼らは20名〜50名程度の集団で生活していたのに対して,ホモ・サピエンスは時として200人程度の集団を形成していたと言われています.ハラリはこの言語の使い方の変化を「認知革命」と呼んでいます。

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(*)言語の使い方の変化と記憶のメカニズム
このような言語の使い方の変化がいつ起こったのかは,分かっていません(実際問題,このようなことを知るのは不可能でしょう)が,キース・デブリンは「数学する遺伝子」(310頁)の中で「このような変化が起きたのははおそらく20万年から7万5千年前の間だろう」と述べています.また,デイビッド・リンデンは認知の基本となる記憶のメカニズムがどのように作られたのかについて,次のように述べています:

記憶のメカニズムは,始めからその目的でつくられたというより,進化の過程で場当たり的に作られたものの借用,転用と捉えるのが正しいだろう.胎児期から乳幼児期にかけての発達段階では,脳の「配線」がおこなわれるわけだが,記憶のメカニズムは,おそらく,この配線のメカニズムを転用したものだろう.
(デイビッド・リンデン「つぎはぎだらけの脳と心」188頁)

なお,骨格などを調べると、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスに比べて喉仏の位置が高くなっていたと想像されています.そのため母音の発音がうまくできなく、複雑な言語の使用は難しかったのではないかと言う説があります。(NHKドキュメンタリー地球大進化「第6集ヒト」)

(*)ダンバー数
ダンバー数というのは,人を含めた霊長類が集団を作るときに,手段としてのまとまりを作ることができる上限数を意味しており,概ね150程度と言われています.
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なお,ここで少し話は横道にそれますが,キース・デブリンは「数学する遺伝子」の中で数学をする能力,というのは言語的な能力,特に噂話(ゴシップ)を語る能力に他ならないと述べています.

このように世界全体に拡散した人類ですが,彼らは各地に定住・農耕を始めます(農業革命=Society 2.0の始まり).「サピエンス全史」の第4章はこの農業革命について論じられていますが,この講演の流れからは外れるのでこのテーマの詳しい紹介は止めておきますが,実はこのパートは「サピエンス全史」の中で最も面白い部分ですのでその要約だけ以下に紹介しておきます.

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農業革命:
1万3千年前に地球全体に広がったホモ・サピエンスはやがて定住し農業を始めます。ところで最近の人類学の研究で現代人の体格、脳の容積の平均はは狩猟生活を行っていた頃のそれよりも劣っている、ということが明らかになっています。これは狩猟民族は、体力的にも頭脳的にも優秀な人間でなければ生きていけない世界であったのに対して、農耕民族はそれほどの能力を必要とせず、少々体力的知力的に劣っていても、とにかくたくさんの人間がいればたくさんの農作物が生産できる世界,と言うことができますが,その見返りとしてホモ・サピエンスは

・長時間の重労働を強いられるようになった,
・多様な食物から単一の作物に依存する食生活へ変化し栄養が偏るようになった,
・土地を巡る争いの発生し戦いで死ぬ割合が高くなった(当時の人々の約30%が戦いで死亡していたと言われています)

という負の側面が生まれてきました.ハラリは結論として農業革命で種として最も成功を収めたのは小麦であり,これは人類史上最大の詐欺であった,と述べています.
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ここからの話はヨーロッパの価値観を中心とした話になります.
農耕が始まったことにより,ホモ・サピエンスの生活は安定し人口はどんどん増えていき彼らが形成する集団も巨大になっていきますが,それをまとめるためにより大きな虚構が必要となってきます.ハラリは人間を統一するする3つの普遍的秩序として
1.貨幣
2.帝国
3.宗教
を挙げそれぞれについて一章(第10章,第11章,第12章)を費やして解説しています.この中でも「宗教」は人間の生きる目的の規範を与えるという意味で特に重要ですが,これは今回のお話の中でも特に重要jな役目を果たすのでちょっと覚えておいてください.

さて,このように発展してきたホモ・サピエンスですが,その基盤は限られた資源・エネルギーによっていました.土地は広さが限られていましたし,エネルギーは基本的に太陽エネルギーしかありませんでした.人々が栄養を得るための食料は太陽と水から作られる農作物,及び植物を食べて育った家畜の肉,そして燃料もまた太陽と水から作られる木を燃やすことによって得られたのです.そのため社会はある集団が豊かになれば,他のどこかの集団が貧しくなるというゼロサムゲームの構造であり,やがて社会の活気は失われ停滞していったのです.これが徹底したのがいわゆる中世ヨーロッパの暗黒時代でそこでの人々の行動規範は,

「神はすべてを知っている,そして神が知らないことは重要ではない,」

という価値観で具体的にはキリスト教カトリックによる天動説や創造論等が支配,これに逆らうことは許されていませんでした.

2019年10月12日土曜日

「位相的データ解析」の中の雑談から

今季、大学院の講義「位相的データ解析」を開講していますが、導入として最近のAI(人工知能)の現状の紹介を講義中にしています。そんな雑談の内容を少し紹介します。


現在AI(人工知能)が多くの企業を巻き込んだトレンドとなっています。これは2005年にレイ・カーツワイルが「シンギュラリティは近い」という本の中で2045年にはAIの発達はAIの能力が人間を超える(シンギュラリティ)ようになる、と述べたことがその象徴となっているようです.さらに2011年ニューヨーク大学のキャシー・デビッドソンは
「2011年度にアメリカの小学校に入学した子供たち(つまり2005年に生まれた子供たち)の65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」 と述べており、これに影響されてAIが普及した時代の教育への対応が現在国を挙げての課題になっています。

しかしいま存在する、いわゆる”AI”はとても知能と言えるものではない、ということが新井紀子氏によって指摘されています。(「AI vs. 教科書が読めない子供たち」)新井紀子氏は現在のAIテクノロジーの限界を「今の”AI”は「意味」を全く理解しない。単に論理、確率、統計を使って問題の答えを推測しているに過ぎない」と看過しており、AIが人間の能力を超えるようなシンギュラリティが現れることは無いだろう、と予言しています


関連した話題ですが、IBMは彼らが開発した”AI”ワトソンのことを人工知能とは呼ばず「拡張知能(augmented intelligence )」と呼んでおり、それがAIではないことを認めています。


しかし、本当のAIではないワトソンも使い方によれば非常に役にたつことが認められています。


また、Google翻訳などのサービスも最近深層学習の手法を用いるようになった事により、かなり満足のいく翻訳がなされるようになってきています。大学の教員の中にはこのような自動翻訳を使うことに眉をひそめる人もいるようですが、個人的には:

これが役に立つのなら、それを正しく使うテクニックを身につけさせることが、少なくとも現時点では、学生にとって有益である

と思っています。もう少し具体的に言うと、Google翻訳の制度がかなり上がったとはいえ、日本語独特の表現(例えば「それでは私の顔が立たない」と言った言い回し)を翻訳させようとしてもそれはうまく行かないでしょう。Google翻訳にかける事前処理として

「それでは私の顔が立たない」と言う表現を「私の意見も尊重してほしい」といった表現に”翻訳”してからGoogle翻訳にかける、という能力(これはまさに今のAIができない能力です)を身につけること

が場合によっては、学生にとって一番有益な学習、となることもあり得ると思います。




そんな”AIが苦手とする力”とは、どんな力なのでしょうか。新井紀子氏によると「それは文章読解能力」ということに なります。私は、それに加えて、最新のAIの能力を発揮させることのできる柔軟な発想力も挙げたいと思います。



2019年9月23日月曜日

ホモ・デウス第10章への補遺(4)


バリー・メーザーは整数論の世界的な研究者です。彼はアンドリュー・ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明に至る一連の道筋でも重要な役割を果たしていますがその様子が「フェルマーの最終定理 (第V ミッシング・リンク)」に記述されています。以下はその部分の要約です。

1984年ゲルハルト・フライは谷山-志村予想と呼ばれる予想が解ければ、フェルマーの最終定理(当時は「予想」)が解ける、という結果につながる事実を発表しました。しかし残念ながら彼の議論には欠陥があることがすぐに明らかになりました。多くの数学者がこの主張の正しい証明を与えようとしましたが、すぐにはうまくいきませんでした。1986年に バークレーで開催された国際数学者会議の折にケン・リベットとメーザーはカフェ・ストラーダ(個人的な思い出ですが、私も1983年~84年にバークレーに留学していたときによくここで仕事をしていました)で雑談中、この話題に関する自分の研究について語っていたリベットにメーザーがある事実を注意し、これが決定打となって「谷山-志村予想を解決すればフェルマーの最終定理が証明できる」ことが証明されたのです。そして最終的にワイルズによってこの谷山-志村予想が証明されその結果としてフェルマーの最終定理が証明されたのです。

さてメーザーは専門に関する学術論文にほか様々な数学に関するエッセイを公開しています。「黄色いチューリップの数式」という本はそのような彼の「業績」の一つで、数学の歴史をたどりながら「複素数」というものをどう捉えるのか、「黄色いチューリップ」という言葉を含む詩を参照しながら、紹介しています。その中に子供に負の数を教える場面を描いた次のような記載があります:


(「黄色いチューリップの数式」72頁)

さて、この子の想像力の中で何が変わったのでしょうか?メーザーは明確な答えを与えてはくれていません。 そこで私なりの解答を紹介することにしましょう:

この子にとって、それまで数字とは「ひとつ、ふたつ、・・・」といったものの個数を表すものであったが、同じ数字が実は「ものの長さ」も表すことができる、と気がついたことにより、それが直線上の位置として捉えるべきもの、という考えが自然に浮かんだのです。その時「この直線はゼロのところで終わるのは不自然だ」という考えを、無自覚的に受け入れ、その瞬間「引き算68の結果」のあるべき場所を悟った、・・・

という説明はいかがでしょうか。説得力はあるでしょうか。

ついでに、この「この直線はゼロのところで終わるのは不自然だ」という文章を「この直線がゼロのところで終わるのは可哀想だ」という文章に置き換えてみることに抵抗はありますでしょうか。私は、この「可哀想だ」という感覚が前回のポストで紹介した岡潔の「情緒」なのではないかと思っています。

フェルマーの最終定理
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%AE%9A%E7%90%86-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3-%E3%82%B7%E3%83%B3/dp/4102159711

黄色いチューリップの数式
https://www.amazon.co.jp/%E9%BB%84%E8%89%B2%E3%81%84%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%BC%8F%E2%80%95%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88-15%E3%82%92%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8-%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC/dp/4048981595

2019年9月18日水曜日

ホモ・デウス第10章への補遺(3)


哲学者のアンディ・クラークは彼の「拡張された心」に関する仕事は

人間の「認知ー非認知」の区別への疑問として、

なされた、と述べています(「現れる存在」380381頁)。例えば人間の「認知」(あるいは「記憶」etc.)というのは身体や環境といった外部世界に漏れ出しており、そのことにより

我々の脳の中だけで実行するには非常に複雑な処理のためのストレスを軽減

しています(このことをクラークは「コントロールとは複雑系をそっと一突きすることだ・・・」と表現しています。「現れる存在」383頁)。「拡張された心」に並行する考え方として「拡張した身体」という考え方があります。例えば猿に手の届かないところに置かれた食べ物を熊手を使って手元に引寄させる、という訓練をすると、やがて脳内のニューラルネットワークの繋がりに変化がおきてこの熊手が脳地図に組み込まれるのだそうです。その結果この猿にとって

「熊手は身体化された」、

言い換えるとこの猿は

「拡張された身体を獲得した」

と言えるのです(「野生の知性」289頁参照)。これと同じように人間の心も身体や道具、環境を通して拡張される、これが「拡張された心」の基本となる考え方です。森田真生氏はこのような「心の拡張」は身体・道具・環境のみならず「非記号的な思考過程」によってもなされると主張、更に、「数学的思考」というのはこのようにして拡張された心の一種なのだと述べています(「数学する身体」第四章 出難の道)。(なお、森田氏はこの「非記号的な思考過程」の一例として岡潔が繰り返し使った「情緒」を挙げているように思われます(「数学する身体」第四章 「情」と「情緒」))

拡張された心には大きな可能性があります。数学の理論はそのような成果の一つですが、このように拡張された心が生み出すことのできる様々な精神世界が前回のポストの中で紹介した高橋 和巳氏の描いた世界

・・・彼女は社会的存在の外側に出てしまった.同心円の構造から見ると,内側二つからはみ出て,宇宙に行ってしまったのだ.そこでは感覚も欲求も制限がゆるくなる.心の抑圧がなくなる場所である.


2019年7月10日水曜日

ホモ・デウス第10章への補遺(2)



「消えたい虐待された人の生き方から知る心の幸せ」



で高橋 和巳氏は、虐待を受けていた子供がその成長の過程でどのように苦しみ、そしてそれをどの様に克服していったのかいくつかの事例を紹介しています。

虐待をうけて育った子どもたちも,やがて成長し社会生活を営むことになります.結婚をして親となる場合もあります.しかし虐待によって受けた心の傷は彼らに「ここは自分のいる世界ではない」という気持ちをもたせ,多くの場合「生きづらさ」に苦しむことになるのです.

5
(5)子どもから教えてもらう愛情
・・・
「子どもがいらなくなった」と訴える母親
・・・
その女性は電話口でいきなり,
「子どもがいらなくなった.引き取ってほしい」
と訴えた.
・・・
赤ちゃんがママの方に近付こうとすると,野中さんは一瞬,怖いものを見るような顔をして無意識に後ずさりした.
・・・「ああ,このママは本当に赤ちゃんが怖いんだ.彼女は被虐だ・・・・・・」
・・・無邪気に,何の疑いもなく愛を求めて近づいてくる子どもがいると,被虐ママの強固な抑圧に危機的な揺れが生じる.

高橋氏は,沢山のその様な事例にふれるうちに,虐待を受けた人達は「普通の人達」とは違った世界を生きていることに気づきました.彼はそれを次の様に表現しています.

世界の構造は,二つの異なる世界に更に宇宙を加えた三つの要素からなる.これらは三つの円を重ねた同心円になっている.
・・・
内側の二つの世界が,心の有りようによって異なる二つの世界である.
①一番内側の普通の世界に,私たちは生きている.
②その周りの辺縁の世界に,異邦人(被虐待者)が生きている.
この二つが地上にある二つの世界だ.
③その外側には広大な宇宙が広がる.

この同心円は先日のポスト


で紹介したハラリの同心円を連想させます.ハラリは「心のスペクトル」を図式化したものとして「人間の精神状態の円」の外側に「動物の精神状態の円」を配置しています.この図の中で「辺縁の世界」の円は,人間の精神状態の境界近くに位置していると思うのは悪い直観では無いように思います.

さて,高橋氏はこのような生きづらさを抱えた被虐待者がどのようにそれを克服していったのか,ということも紹介しています.

・・・愛を受け取らずに,義務を果たす,それが彼女の子育てだった.

そんな野中さんに高橋氏は「子どもに自分のことをママと呼ばせなさい」とアドバイスします.それからしばらくして野中さんに変化が現れます.

・・・彼女は「ママ」という言葉の意味を正確に理解している.だからその言葉を使ってこなかった.その言葉を使えるようになったということは,世間と共通のママだと自分で認めたことである.

・・・時間が逆転する.心は自由に時間をさかのぼり,この世に生まれてからずっと期待していた安心,愛情と称賛を手に入れる.過去に虐待された事実は消えないが,その意味は変わる.原因は動かないが,結果が変わる.心の事実を知ることによって過去が変わるのだ.

野中さんは子育てを通して辺縁の世界から,普通の世界に入る(彼女はずっと辺縁の世界に生きてきたわけですから,普通の世界に「帰る」というのは正確ではないでしょう)事ができたのです.

さてこのような被虐者とのつながりを通して高橋氏の興味は次第に辺縁の世界の内部に入り込んでいったように見えます.

第五章 心はさらに広い世界へ

・・・一方,異邦人が生きてきたのは「辺縁の世界」である.そこでは社会的存在は曖昧で,彼らは革新を得られず,いつも自分の存在に戸惑い,不安定に生きている.

・・・しかし,逆の言い方をすれば,辺縁の世界から見ると,みんなが信じている社会的存在がそれほどまでに絶対なのかと醒めた目で眺めているようでもある.彼らには社会的存在の限界が見えているのかもしれない.その証拠に,彼らは,時々社会的存在を前提とした文脈では理解席無い,ある意味ちぐはぐな,でも何か不思議なことを語ることがある.

・・・一方,「自殺したい」と聞いて「うん,そうだね.でも,自殺していい理由を探すの,大変でしょう」などと,しみじみと同情するとしたら,その人は異邦人かもしれない.規範を基準として自殺の良し悪しを判定しないのだ.

そして高橋氏はその心のあり方に肯定的な意味を見出すのです.

私達の心に広さは,共有する感情と規範の範囲である.しかしそれが心の全てではない.
実は,心はあなたが思っているよりもずっと広く,その外側にも深いところにも広がっている.
異邦人の証言は,その広い心の可能性を見せてくれた.

そして高橋氏は辺縁の世界の外側を描き出してくれます.

・・・彼女は社会的存在の外側に出てしまった.同心円の構造から見ると,内側二つからはみ出て,宇宙に行ってしまったのだ.そこでは感覚も欲求も制限がゆるくなる.心の抑圧がなくなる場所である.
二つの同心円の外側では,生死の意味も変わるから,「死にたい」と「消えたい」がともになくなってしまう.何が残るかといえば,ただ「在る」ことだけである.

高橋氏はこの本の最後でこのような異邦人が人類の創造性において大切な役割を果たしてきたことを指摘しています.

それまでなかったような新しい境地を開いた人,それまでとは異なる視点で社会や国を論じ,危機に際して社会を救った人,そういう人たちの中に異邦人がたくさんいることに私は気づいた.

2019年7月4日木曜日

ホモ・デウス第10章への補遺


歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリはその著書「ホモ・デウス」の中で現在の科学の発達(特に生物学の発達)は人類(ホモ・サピエンス)を不老・不死といった神の領域までアップグレードする可能性を現実的なレベルまで引き上げていると指摘し,この帰結としてごく一部の神のような力を持つ人間(ホモ・デウス)がデータ至上主義を教義として大部分の人間を支配する未来を描き出し,読者にこのような未来を受け入れるのかどうかを問うています.これについてはこのブログの次のポストを参照ください.


11章からなる「ホモ・デウス」の終盤でハラリは人間が一人一人固有に持っていると信じている意識の存在が実は,非常に曖昧なものであること,更に宗教がその影響力を失いつつあることを指摘した上で,その先で人類はいかなる教義を行動規範として持つべき?という問を提出し,これに続く「第10:意識の大海」でまずその新しい”宗教”の可能性として”テクノ人間至上主義”と”データ教”という2つの可能性を上げています..この章では,ハラリはまず「心のスペクトル」の広大さについて次のように述べてます.

私達が想像している小島の住民は少なくとも,自分が,広大で神秘に満ちた海に浮かぶ,ほんのちっぽけな空間を占めているのにすぎないことを自覚している.一方私達は,ひょっとしたら際限のない,異質の精神状態の大海に浮かぶ,ちっぽけな意識の島に暮らしていることを正しく認識できずにいる.

そしてこの心のスペクトルの広大さ故,

テクノ人間至上主義が人類の次の教義になることは無いだろう

と結論づけています.

私としてはこの論理展開に不満は無いのですが,ただここで述べられている「心のスペクトルの広大さ」の意味についてもっと具体的に知りたいと感じました.ハラリは人間,動物そしてそれを含むありとあらゆる精神状態をも考えて(次図)

将来は・・・そうした大陸への航路を切り拓いてくれるかもしれない

と述べています.



個人的にはまずはこの「人間の精神状態」の境界付近の精神状態,に興味があります.その一つの例は先日のポスト


で紹介したピダハンの文化だと思います.言語学の根底に関わる特殊な言語を用いて,ハラリが言うところの「認知革命」をまだ経験していない(言い換えると,「虚構を共有する」という文化を持っていない)ピダハンは「人間の精神状態」というものの境界の一つを体現していると言えるでしょう.

2019年6月30日日曜日

ピダハン



今年度放送大学の対面講座を担当することになり,数学に関する入門的な講義を行いました.この講義はまず「数」の歴史の紹介から始まるのですが,そこで,「一つ,二つ,沢山」という単純な数体系しか持たない民族の話をしよう,と考えました.そのためにこれがどこに住んでいる何という名前の民族か確かめようと調べていたのですがどうもはっきりしないのです.

学生とこの話をしていたところ「数字ではないけれど,言語に過去形未来形を持たない民族がいるそうですよ」という教えてくれたんです.そこで,このような言語をもつ民族について調べ始めたところ,今度は割と簡単にアマゾン川流域に住んでいるピダハンという民族がそれであることがわかりました.ピダハンに関しては長年彼らと生活を共にした経験を持ちピダハン語を自由に操れる言語学者(ダニエル・L・エヴェレット)による書籍「ピダハン」があり,その具体的な生活・文化について詳しく知ることができました.そこでピダハンは「ひとつ,二つ,沢山」どころかそもそも数を持たないことを知りました.


ピダハンは次のような文化を持っています.

ピダハン語は音素を11しか持たない(母音3,子音8).但し声調が豊かでこれを使って単語の多様性が実現されている.特に音素を除いて声調だけを取り出したハミングだけで会話が可能である.

ピダハン語には未来形,過去形がない(厳密に言うと「単純な過去,未来の表現はあるが,現在に結びつく過去を表す,現在完了形のような表現はない」).基本的には現在にしか関心がないから,過去の失敗を悔やむことも無いし,未来を心配して悩むこともない.将来のことを考えて,保存食を作ったり(作る技術があるにもかかわらず)長期の使用に耐える容器を使ったりしない.食料が手に入れば,手に入った分だけ食べきってしまう.手に入らなければひたすら空腹に耐える.空腹は自分を鍛える,と考えている.これは断乳したばかりの幼児でも同じである.子供は空腹に耐えきれず泣き叫ぶが大人たちは気にかけない.

ピダハン語には交換的言語使用,例えば「こんにちは」「さようなら」「すみません」「ありがとう」といった表現,はない.感謝の気持ちは,言葉ではなく親切な行為の形で示される.

はっきり目に見える形で文化を誇示しない.儀式をしたり羽飾りや入れ墨のような習慣はない.装飾品としては,粗末な首飾りを付けているが,これは魔除けとしての役割を持っている.但し彼らにとって妖精というのは,架空の存在ではなく,実際に彼らの近くにいるものである.

人が死んだときも葬式のような儀式は一切行わない.穴をほって埋めるだけである.

将来よりも現在を大切にするため,最低限必要とする以上のエネルギーを注いだりしない.

数の概念がない.単語には単数と複数の区別もない.母親は自分に何人の子供がいるのかは,わからないがその代りすべての子供の名前と顔を憶えているので問題ない.また方向を表す「右,左」や色を表す「赤,青,緑」といった単語がない.方向は「山のある側」とか赤は「血のようだ」といった表現を用いて表す.

夫婦といえる男女のペアは存在するが,男女が一緒に住み始めたらそれで夫婦扱いされる.たまにパートナーが別の相手を見つけて一緒に姿を消すようなことが突然起こる.彼らが帰ってきたあと,元の鞘に戻ることもあるし,彼らが新しいペアとして生活を始めることもある.他の人達はそのことを噂にしたりするようなことはない.パートナーを失ったものは一時は悲しむが,すぐにそれを受け入れる.それによって諍いが起きることはない.

自分たちや語り手が直接体験した以外の話は信じない.宣教師が聖書について紹介しても,宣教師が直接イエスに会っていないと聞いた途端興味を失ってしまう.ピダハン語では血縁を表す表現は親,同胞,息子,娘しかない.当然ピダハンは神を信じないし民族の歴史も神話も持たない.

ピダハンはよく笑う.自然の驚異などあらゆる事態を乗り越える能力があると信じている.ピダハンは穏やかである.身内に対してはもちろん,異文化に接したときも敵意を見せることはない.これまで他の文化に接する機会は何度もあったが,自分たちの生き方を変えることはなかった.

最初は,宣教師としてキリスト教を布教するためにピダハンと暮らし始めたエヴェレットは次第にピダハンの文化に惹かれてゆくとともに,キリスト教から心が離れてゆくのを感じます.やがて自分の中の何かが崩壊,結果的に無神論者となり家族とも別れ,言語学者としてピダハン語の研究に没頭するようになります.
そして彼が2005年に発表したピダハン語に関する論文はuniversal grammerという現在の言語学の基本となる考え方の中のある原理の一つ(再帰性)に疑問を投げかけ大論争を引き起こしました.彼の説は激しい攻撃をうけチョムスキー(universal grammerの創始者)は彼のことを「ほらふき」とまで呼んだのでした.

次のドキュメンタリー番組ではこのような論争の真っ只中にいるエヴェレットが再びピダハンに会いに行こうとしたものの何者かの妨害により,それがかなわなかったことが紹介されています.エヴェレットがピダハン語によるビデオのメッセージをピダハンたちに送るシーン,そしてピダハンたちはブラジル政府の保護政策によって,その居住地にはトイレが設置され,子どもたちは学校でポルトガル語による教育を受けさせられている姿が,最後に紹介されています.



2019年6月26日水曜日

「ホモデウス図解,要約してみた」を講義に利用してみた




セミナーでの雑談中にイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの著書「ホモ・デウス」のことを学生に教わったので早速,購入して読んでみました.

現在のテクノロジーの発達は人類をどんな世界に連れて行こうとしているのか,壮大なスケールで描くこの本の魅力にとりつかれましたが,何しろ大部の本なのでその全貌を捉えることができずストレスを感じていたのですが,この内容をスライド59ページにまとめてくださった人がいます.

「ホモデウス図解,要約してみた」  by nogacchi

このスライドのおかげで漸くこの本の全体像が(ぼんやりと)見えてきました.そうすると今度は本の中の話の流れを自分流に書き直し.更にその内容について人に話したい,という気持ちがおきてきました.
先日理学部の学生向けのオムニバスの講義で,「機械学習」について話をする機会があったのですが,これ幸いとこの講義時間の一部を使って,データサイエンスの意義を説明するために,上記のまとめを利用しながら私流のホモ・デウスの解釈を述べてみました.
今回はそのこの内容について紹介したいと思います.

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まず,ホモ・デウスにおける(皆さんがいま学んでいる)サイエンス(自然科学)の位置づけについて確認しておきます.そのために人間をプロセッサーとして見たときの人類の能力の変遷についてどのように理解できるのか紹介します。
人間を一人ひとりではなく,集団としての人間の機能(プロセッサーに例えることにする)がどう拡大してきたのか,という観点から歴史を見直してみると,次のような流れになるでしょう:

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1.認知革命(プロセッサーの数が増えた)
人類はいまか7万年くらい前に,実際には存在しないものを頭の中に想像しそれを他人と,共有できるようになった(認知革命).
これによっ人類は想像の中にしか存在しないものについて語り,それを他人と共有できるようになった.これによって共同主観的ネットワークが形成されるようになる.

2.農業革命(高度な局地的プロセッサーの誕生)
約1万2000年前に農業革命が起こる.人類は農作を始めそれまでの常に移動する狩猟生活から定住生活に移行した.農耕によりそれまでより大きな村が形成されるようになった.共同主観的ネットワークは拡大して,様々な神々の物語に発展し宗教が生まれた.

3.書字と貨幣(プロセッサー間の接続が増えた)
約5000年前に書字と貨幣が発明された(シュメール人)事により巨大な王国が成立した.共同主観的事実(宗教など)が生活の重要な規範となった.

4.科学革命(サイエンスによる飛躍的発達,世界的ネットワークの構築)
やがて(約500年前の)科学革命とともに異なる都市や王国の間の結びつきが強まり,それは21世紀現在の世界を巡るネットワークに繋がっていく.ところでその一方で科学は人間から神を奪い去ってしまった.今や宗教は人間の進むべき道を与える大きな力にはなってくれない.そして宗教に代わって人間至上主義が人類の行動に対する指針の基準となっている.
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人類の現状は経済成長と生態系の保護という2つのレースを同時にこなしているようなものです.これまでは科学技術の絶え間ない進歩により人類はこのレースをここまで駆け抜けることができてきました.しかし現在,人々はこのようレースを続けることにストレスを感じています.

ところで現在人類の生活レベルはこれまで我々を苦しめてきた飢餓,伝染病,戦争という3つの厄災をほとんど克服した,といっていいところまで向上しています.「人間至上主義は実現された」といってもいいでしょう.そして今や科学技術(特に生命科学の発展)は「不老・不死の実現」といった神のレベルまで人間をアップデートしようとしているのです.(ホモ・デウスというのはこのような神の特性を持った人間のことです.)

しかしながら現代の人々の幸福度は必ずしも高くなく特に先進国ほど自殺率が高いなど経済成長は幸福感につながらないことが分かっています.実際に人間は「幸福感を持ち続けることができない」という特性によってこれまで生き残ることができたのですからこれはある意味自然なことです.

ところで最近の脳科学の研究は,人間が「意識」を持っている(人間至上主義の根拠となる信念)という主張に対して疑問を投げかけています.実際

「人間の様々な価値観の基本になるのは虚構の物語に過ぎないのではないか.虚構の価値観を目的化してはならない」

という考えに基づいて人類の未来について考察するのは意味のあることのように思えます.では

「意識というものは存在しない」

として,

「生命とは外的な刺激にどのように対応するかという手順を定めたアルゴリズムに過ぎない」,

という仮定を採用してみましょう.そうするとむしろこのような仮定に基づいて行動をコントロールするほうが好結果を生むことが様々な実験によって確かめられています.そう遠くない未来に多くの職業はアルゴリズム(AI)に取って代わられ,人類の大半は経済的価値を失う可能性が少なくないのです.

つまり,ホモ・デウスを目指す,ということは人間至上主義の崩壊につながると言えるでしょう.

このような進歩の行き着く先として次のような未来を描くことができるでしょう:

自由主義は崩壊して社会はごく一部のホモ・デウスのみがアップデートされ続け,大部分の人間はアップデートされることもなく,データ至上主義という新しい宗教に基づくアルゴリズムによって支配されるだけである.(ハラリはこのような社会構造を「新しいカースト制度」と呼んでいます.)

このような未来が本当に来るのかどうか,それは皆さんのような若い世代にかかっているのだと思います.そしてそこで来るべき社会に本質的な影響を与えるためにはデータサイエンスに対する正しい理解を持つことが必要であると考えます.どのような未来であれデータ至上主義がこれからの社会を支える最も重要なパラダイムになることは間違い無いからです.


2019年1月5日土曜日

貧困・虐待、壊れた心・脳、認知・身体・環境、数学


 2018年はいろいろなジャンルの本を読みました。その対象は大きく、
・貧困・虐待
・壊れた心・脳
・認知・身体・環境
・数学
にわかれます。一見互いに関係ないこれらのテーマが、自分の中でゆらゆらとつながって知的な興味が大きく刺激されましたが、残念ながらこの内容を言語化・体系化することはできませんでした。いつかこれをまとめた文書を完成させたい、と思う反面そのような機会・時間があるのかどうか自信が持てないので、とりあえずこれに関連して私が興味を持った本やウェブページとその中でポイントとなった記述を紹介させていただこうと思います。
概ね私の思考の流れに沿った順番で書かれています。個人的な覚書という性格のもので他の人にはわかりにくいとは思います。引用されている文章は自分自身の記憶のためなので必ずしも文書の趣旨とは一致しません。このような記録でももしかしたら誰かのお役に立てるかもしれない、と感じたのでここに公開させていただきます。

なおここでの発想の展開には東京工業大学の鈴木咲衣氏とのやりとりが決定的に影響していることを注意しておきます。この場を借りて感謝の気持ちを表させていただきます。

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最初に紹介するのは大学の倫理・人権委員会の委員をしていたときに「若年女性の貧困」という問題を知り関係の本をいろいろと読んだ中の一冊です。特に気になったのは、ネットカフェでの生活を続けたために「(心が)壊れてしまった姉妹」のお話です。あと妊娠したものの、自分では育てられない女性のためのNPOを主催している女性の「まずは食べることと寝るところと医療が受けられるという最低三つの条件だけはクリアできるように考えています。」という言葉は同じ趣旨の表現が別の書籍の中にも何回か現れ、気にかかりました。
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女性たちの貧困
NHK


第五章 妊娠と貧困
Babyぽけっと」は、妊娠したものの、自分では育てられない女性たちが産んだ赤ちゃんと、子供を育てたいと希望する夫婦との特別養子縁組を仲介するNPOだ。

・・・「ちょっとおかしいんじゃないのって思うこともありますけど、ほとんどの方はわらにもすがる思いで相談してくるというのが、本当のところだと思います。元気な子を産んでもらうということに重点を置いて、まずは食べることと寝るところと医療が受けられるという最低三つの条件だけはクリアできるように考えています。」

たった一度だけ抱いた赤ちゃん
・・・一方で、岡田さんは寮を出る女性たちには最後に一度だけ子どもを抱かせることにしている。子どもを産んだという事実を、決して忘れないでほしいという思いからだ。次に子どもを産むときは、喜んで命を迎えられる暮らしをしていてほしい。「生まれてくれてよかった」と子どもにいってあげてほしい。そんな岡田さんの思いが”最後の抱っこ”には込められている。

・・・「普通に過ごすってなんていいものなんだろうって。やってみて思う。この方が、生きている感じがしますもん」

第六章”新たな連鎖”の衝撃

ネットカフェに二年以上ー彩香さん・十九歳
・・・十九歳の女の子が二年以上、ネットカフェに暮らしているという。

・・・一日あたりの料金は1900円と安いが、ずっと暮らすにはそれなりの金額がかかるのではないか。それなら、いっそのこと家でも借りればいいのではないか、そう思ってアパートとか借りないの?と聞いてみたが、既に彩香さんは、前に踏み出す気持ちが衰えているように感じた。

母と妹も。”ネットカフェ家族”出現の衝撃

・・・部屋から顔を出したのは、前髪をぱっつんにして、左右におさげを作った。可愛らしい女の子だった。なんと、彩香さんの妹、萌さん(仮名)だという。

「今、いくつなんだっけ?」

「私、今年で十四歳になりました」
「十四!?じゃあ、この四月で中学何年生?」
「中学三年生になります」


・・・学校には、半年近く通っていないという。

・・・毎日の食事は彩香さんが、コンビニから買って帰る。一日一食。薄暗いネットカフェの部屋に寄り添うように座って、パンやおにぎりを二人で分け合って食べる。それでも空腹が満たされないときは、店内の無料のドリンクバーでジュースを飲んでしのいでいるという。

・・・「自分の人生にあんまり期待していないし、社会とかにも期待はしていない。もう、何に対しても、期待も持てない。」
・・・「普通に学校も出たかったし、友達とも遊びたかったし。なんかもう、ここまで来ちゃうと、こういう運命なのかなって。自分にいい聞かせているというか、そうしないともう働くのも嫌になっちゃうし、生きているのも嫌になるというか」

第七章 解決の道はどこに
放送中から反響が殺到 ー 彩香さん・萌さん姉妹のその後

・・・「「貧困」とは「お金がない」だけでなく「教育」や「情報」が欠如している状態だともいえるのではないか、というのが取材をおえての私の実感です。」

・・・そして今、姉妹は別々の場所で新たな生活を送っている。保護施設での生活を経て、妹の萌さんは児童養護施設に入所した。彩香さんは自立を目指して、専門スタッフが常駐する施設で暮らしている。

・・・しかし、ネットカフェでの生活は、私が考えていたよりはるかに深刻なダメージを彩果さんに与えていた。・・・何度か入院しての治療も受けているという。あの状況を生き延びてきたのがそもそも奇跡的なことだったのだろうと、すっかり痩せた彼女とあって、私は改めて思い知らされたのだった。

・・・あまりにも頑張ってきた人に、「頑張って」とはいえない。むしろもう頑張らなくていいとさえ思う。とにかくゆっくり休んでほしい。そして元気になったときには、今を目いっぱい楽しんでほしい。

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女性の貧困について調べているうちに次のウェブページにたどり着きました。貧困の原因が「脳のトラブル」にあるという視点は驚きでしたが、読み進めるうちに納得させらました。この記事を書いたライター(鈴木大介氏)は自身の脳梗塞とそこからの回復の体験、そして発達障害を抱えた妻(お妻様)との関係の再構築を綴った書籍(「脳が壊れた」、「されど愛しきお妻様」)を通して、貧困に対する取り組みのあり方を圧倒的な説得力を持って、そしてユーモラスに、語っています。
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貧困の多くは「脳のトラブル」に起因している
「見えない苦しみ」ほど過酷なものはない
鈴木大介
高次脳機能障害になった僕の行動は、そして訴える苦しさの内容は、驚くほどに彼ら彼女らに酷似していた。僕を襲った症状は、いわば「貧困当事者あるある大事典」みたいなものだった。
心の中がつねに何かでいっぱいで、何を見ても号泣してしまう発作。発作の後に訪れる、身体を縦にしていることもまぶたを開けていることも困難な極度の疲労感や虚脱感、猛烈な睡魔。
・・・
理由のない不安の発作が始まると、サランラップで全身をぐるぐる巻きにされたように息が詰まり、窒息しそうな苦しみから逃れられない。それが不安なのかもわからない。

脳が壊れた
鈴木大介

「本当に、所詮人間なんて、電気信号で動くものすごく高精度の機械にほかならない。・・・だが機械と違うのは、人間は正しい動きを繰り返し続けると、その正しい配線が固定化、最適化されることだろう。」

・・・「同じ低所得でも、身近な人の縁に包まれてワイワイと楽しく生きている人々は貧乏であって、QOLはさして低くない。そうした支えを失って孤独と混乱の中で抜け出せない苦痛を味わい続けている状態が貧困で、生きていることを諦めたくなるほどにQOLは低い。」

・・・「第一の価値観は、「世の中の、めんどくさい人ほど愛らしく、興味深く面白い」だ。集団には馴染めないかもしれないし一般的な社会の評価の対象にもならないかもしれない彼が彼女らだが、だからこそ突出してユニークなパーソナリティーを持っている。人間の魅力とは、個人の能力などとは全く関係のないところにある。

4 リハビリ医療のポテンシャル
・発達障害は生まれつきなのだろうか
リハビリと高齢者の群れ
ここで働くリハビリ療法士たちは、極めて優秀な「子どもの発達の支援者」になる可能性を秘めたプロ集団。彼らのスキルは、子ども、そして若い社会的弱者のために大きな効果を発揮するのは間違いがない。

貧困とは、多大な不安とストレスの中で神経的疲労を蓄積させ、脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害となったものと同様なほどに、認知判断力や集中力などが極端に落ちた状態なのではないか?

されど愛しきお妻様
鈴木大介

不自由を障害にするのは環境
・・・「見えない不自由を抱えた人たちに、やろうとしてもできないことを強いる。そんな周囲の無理解が、いっそう当事者の不自由を苦しみ=障害にしてしまうのは、あまりに残酷なことだ。環境が不自由を障害にする。・・・」

・・・「ケアされるべき彼らが排除される理由の1つとして、どうしても避けて通れないことがある。彼らは基本的には被害的な立場に置かれることが多いが、一方で場面と相手によっては「加害的な側面」ももち合わせていると言うことだ。」

・・・「弱者を加害的な立場に追い込むのも、また周囲の環境。」

・・・「様々にある「なぜ発達障害が増えているのか」の言説の中で、僕自身高次脳機能障害の当事者として支持できると直感したのが、「現代が不定形発展発達の不自由を障害にしやすい環境に変容してきているから」と言う論考です。」

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脳の破壊が貧困につながる、という主張をサポートする本を見つけました。「消えたい」の中の言葉「普通に生活ができて、一に、美味しく食べて、二に、ぐっすり眠れて、三に、誰かと気持ちが通じ合うことができれば、人は幸せ」が最初に紹介した「女性たちの貧困」のBabyぽけっと」の中での言葉「まずは食べることと寝るところと医療が受けられるという最低三つの条件だけはクリアできるように考えています。」に重なります。また、壊れてしまった脳の機能を積極的に再生する研究も進んでいるようです。
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消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せ
高橋 和巳

「死にたい」ではなく、「消えたい」という希死念慮
・・・虐待を受けて育った人は、人生の辛さから逃れるために「死にたい」とは言わない。「消えたい」と言う。
・・・「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている。「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う。
・・・「消えたい」の中には怒りはないか、あっても微かだ。そして、淡い悲しみだけが広がっている。

・・・「食べ物は何が好きか」とか、「今日は、何が食べたいか?」とかを聞いた。彼女は、質問の意味がわからないようだった。「特に好きなものはない」、「別にない」とだけ繰り返していた。

・・・これが、私が被虐待者(異邦人)から教えてもらった最初のことである。つまり、普通に生活ができて、一に、美味しく食べて、二に、ぐっすり眠れて、三に、誰かと気持ちが通じ合うことができれば、人は幸せである、と。

子供の脳を傷つける親たち
友田明美

・・・人生の初期段階に、親や養育者といった身近な存在から適切なケアと愛情を受けることが、脳の健全な発達には必要不可欠です。しかし、この時期に極度のストレスを感じると、子供のデリケートな脳は、その苦しみに何とか適応しようとして、自ら変形してしまうのです。生き延びるための防衛反応だともいえます。これは悲しい、そして驚くべき事実です。

マルトリートメント:
・・・「虐待」という言葉がもつ響きは強烈で、ときにはその本質を見失う恐れがあるためわたしたちの研究では、強者である大人から、弱者である子どもへの不適切なかかわりかたを、「虐待」とは呼ばずに「マルトリートメント(maltreatment)」と呼んでいます。

・・・社会に適応しづらい青少年や成人が生まれる背景には、子供時代に受けたマルトリートメントがあったのです。

子どもの脳がもつ回復力を信じて
・・・またこうした変形がもとで損なわれた脳の機能は、修復できないのでしょうか。いえ、そうとは限りません。最近の脳科学研究では、「脳の傷は癒やされる」という事例が多く報告されています。

「精神病を"会話"で診断するなんてもう古い!」 83,000個の脳をスキャンしてわかった、精神病の正体

Daniel Amen

精神病の診断のほとんどは精神科医が患者と話すことで診断していますが、それだけでは不十分だとダニエル・アーメン博士は語ります。93か国、83000人もの脳をスキャンしてきた彼は、トラウマによって脳に損傷が起きることを発見します。アルツハイマー、認知症、てんかん、ADHDの脳の状態もスペクトイメージングによって確認することができます。博士の研究によって、従来の精神科では一括りにされてきた「うつ病」も、患者達によって脳内の実態は様々であることがわかってきました。「心の病」に脳からアプローチする、新たな治療法の可能性を語ります。

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鈴木咲衣氏とのやり取りをきっかけに精神障害を抱えた当事者たちの自分達を主体とした回復を目指した「ベテルの家」という団体について知ることができました。もっと詳しく知りたくなって次の本を購入したのですが、特に最後の「「脳」から「農」へ」という章が興味深かったです。そこでは、自然が本来持っている力を信じることの大切さが強調されていました。
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◯技法以前 べてるの家のつくりかた

終章 「脳」から「農」へ
・ベテルはほかほかの黒土です
・「農」への関心
・無農薬・無肥料という狂気の沙汰
・「脳」は「農」に学べ
    本来持っている力を取り戻す
川村先生が“低脳薬”にこだわるのは、現実の苦労を奪わないためだという。「苦労が増えたほうがいい」というその考え方は、木村さんのリンゴ栽培に置き換えると、薬の力に頼って休んでいたリンゴが本来もっている力=自然の力を呼び覚ますことにほかならない。

・現実の苦労の中に答えがある
・「リンゴが主人公」という"非援助"の思想

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発達障害(自閉症スペクトラム)の人の中には偶然のめぐり合わせによって素晴らしい能力としてそれが発現する人がいます(サヴァン症候群)が、大部分は社会の不適合者として行きづらい人生を送ることになるのです。
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10の魅力的才能を持つサヴァン症候群の人々

最高に魅力的で人間味溢れた心を持つ持ち主として、サヴァン症候群の人々があげられることがある。知性を司る部分に授けられた驚異的な才能を披露するその人々は、一方で別の部分に知的障害を背負っていることも多い。

 サヴァン症候群の人々の知性は1つないしは2つの特定の部分に焦点を合わせている。ある研究者が述べたように、知的障害者の海に点在する"天才の島"のようなサヴァン症候群の脳の中は、単純に他の人とは違う形で整理整頓されている。サヴァン症候群は人間の頭脳は私たちが考えているより広大で、未開の地があることを証明しているのだ。

僕には数字が風景に見える
ダニエル・タメット

「アスペルガー症候群の人たちは友だちをつくりたいと心から思っているが、それがとても難しいとわかっている。ひとりぼっちだというひりひりする感覚を心の奥で感じていて、それがぼくにはとても辛かった。友だちがいない代わりに、ぼくは校庭の樹木のあいだを歩くときにいっしょにいてくれる友だちを想像でつくった。」

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森田真生氏は哲学者アンディ・クラークの「身体と世界の再統合」に関する見解を数学に適用しそこから岡潔の数学を捉えようとしています。ところで数学をする能力は人間のDNAに刻み込まれたものである(:具体的にうと「言語を操る能力と同じもの」)と言う説があります(「数学する遺伝子」)。
個人的には数学のDNAとこの森田氏の視点を更に統合することができるのか、と言うテーマに興味があります。なお、多くの数学者には発達障害(自閉症スペクトラム)・アスペルガー症候群の傾向がある、と言っていいと思います。この実感がここまでに挙げたテーマにつながる、という直感はあるのですが、それをまとめきることができませんでした。
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数学する遺伝子
キースデブリン

人類が抽象的な数の概念を持ち始めたのは今から8000年くらい前のこと,
また形式的,記号的数学については2500年あまりの歴史しかない

微積分学ができたのは17世紀,
負の数が広く用いられるようになったのは18世紀,
抽象的な代数学ができたのは150年ほど前

人間の脳は350万年かかって今の形に進化した.

疑問:なぜこんな短期間に数学はこんなに発展したのか
5000年は人間の脳が進化するには短すぎる)

結論:誰でも数学の遺伝子をもっている.数学をすることを可能にしている脳の特性は,言葉の使用を可能にしている特性と全く同じものである.

疑問:ではなぜ数学ができない人がこれほどたくさんいるのか?

そもそも「数学」とは何なのか?

数学する身体
森田真生

数学的思考は、あらゆる思考がそうであるように、身体や社会、さらには生物としての進化の来歴といった、大きな時空間の広がりを舞台として生起する。脳内を見ていても、あるいは肉体の中だけを見ていても、そこには数学は無いのだ。」

ミラーニューロンについて
「この実験は、私たちの心がいかに他者と通い合い、共感しやすいものであるかをまざまざと示している。脳の中に閉じ込められた心があって、それが環境に漏れ出すのではなくて、むしろ身体、環境を横断する大きな心がまずあって、それが後から仮想的に「小さな私」へと限定されていくと考えるべきなのではないだろうか。」

「既に何度も強調してきたように、人間の認知は、身体と環境の間を行き交うプロセスである。その結果として、記号化された計算によっては到底追いつかないような判断や行為が瞬時になされる。・・・数学的思考もまた、この例外では無いはずだ。
・・・数学的思考の大部分がむしろ、記号的な、身体のレベルで行われているのではないか。だとすれば、その身体化された思考過程そのものの精度を上げるー岡の言葉を借りるならば「境地」を進めるーことが、ぜひとも必要と言うことになる。」

日本の心
岡潔

現れる存在ー脳と身体と世界の再統合
アンディ・クラーク

付録より
・・・「今日の講義で私がお話しようと考えているのは、なぜ人々が新体制や人工生命のアイディアに関心を持つかだけではなく、なぜ哲学者がそうしたアイディアに注意を払わなくてはならないのかということについてです。」

・・・「人工進化に関するちょっとしたお話から始めることにしましょう。・・・それはエイドリアン・トンプソンとサセックスの研究グループによる仕事で、彼らはそれを「進化電子工学(evolutionary electronics)」と呼んでいました。・・・そしてまた興味深いのは、およそ四〇〇〇世代のちにもっとよく進化した実世界チップがそのタスクをこなしたということです。・・・これを行うチップが得られたこと自体はそれほど驚くべきことではありません。・・・そのチップは・・・通常では機能するはずのないものだったのです。」

・・・「自然はほんとうにこだわりがない」
・・・「この乱雑で漏れ出しやすい性質の探求に挑み、それが人間の心を説明し理解する試みに何を示唆するのか問うこと」
・・・「それでは、身体・行為・世界から心を説明する試みをお話していきましょう。最初は身体です。身体は私達のために何をしてくれているのか、という観点から重要なアイディアがもたらされます。それはコントロールや情報処理が脳の中枢神経系だけの機能ではないということです。」
・・・「コントロールをこうした新しいシナリオのもとでは次のようにとらえることができるということです。それは
        コントロールとは複雑系をそっと一突きすること
だというとらえ方です。」
コントローラーの処理が身体に漏れ出す

「彼らは2つのグループに言葉のリストを覚えさせた後、数学の問題をどうやって解いたのかを説明させ、その後で言葉のリストを思い出させました。一方のグループは説明のときに自由にジェスチャーを使うことが許され、他方はそれを使ってはいけないと指示されました。その結果わかったのはジェスチャーの使用を許されたグループは許されなかったグループよりはるかに良い成績を出したのです。」
・・・「私達はジェスチャーをするときに何か具体的なものを世界の中に生み出している、あるいは、マニクールが言ってように自分達の考えを実体化しているのではないでしょうか。」
認知行動知覚ループ全体に漏れ出す

・・・「クロマグロなど一部の海洋生物の水中でのパフォーマンスは、彼らの物理的能力を凌駕していることがわかっています。」
・・・「マグロがより速く泳げるように自分の世界を構造化するのと同様に、私たちは思考が漸次的により優れたものになるように正世界を構造化しているのです。」
認知は身体だけではなく世界、中でも特に外部のシンボル構造や図式表現などの世界にも漏れ出している。

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アンディ・クラーク氏が言及している「進化電子工学」で実現されたチップについて調べてみました。
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Evolutionary Electronics

Thompsons experiment