歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリはその著書「ホモ・デウス」の中で現在の科学の発達(特に生物学の発達)は人類(ホモ・サピエンス)を不老・不死といった神の領域までアップグレードする可能性を現実的なレベルまで引き上げていると指摘し,この帰結としてごく一部の神のような力を持つ人間(ホモ・デウス)がデータ至上主義を教義として大部分の人間を支配する未来を描き出し,読者にこのような未来を受け入れるのかどうかを問うています.これについてはこのブログの次のポストを参照ください.
全11章からなる「ホモ・デウス」の終盤でハラリは人間が一人一人固有に持っていると信じている意識の存在が実は,非常に曖昧なものであること,更に宗教がその影響力を失いつつあることを指摘した上で,その先で人類はいかなる教義を行動規範として持つべき?という問を提出し,これに続く「第10章:意識の大海」でまずその新しい”宗教”の可能性として”テクノ人間至上主義”と”データ教”という2つの可能性を上げています..この章では,ハラリはまず「心のスペクトル」の広大さについて次のように述べてます.
私達が想像している小島の住民は少なくとも,自分が,広大で神秘に満ちた海に浮かぶ,ほんのちっぽけな空間を占めているのにすぎないことを自覚している.一方私達は,ひょっとしたら際限のない,異質の精神状態の大海に浮かぶ,ちっぽけな意識の島に暮らしていることを正しく認識できずにいる.
そしてこの心のスペクトルの広大さ故,
テクノ人間至上主義が人類の次の教義になることは無いだろう
と結論づけています.
テクノ人間至上主義が人類の次の教義になることは無いだろう
と結論づけています.
私としてはこの論理展開に不満は無いのですが,ただここで述べられている「心のスペクトルの広大さ」の意味についてもっと具体的に知りたいと感じました.ハラリは人間,動物そしてそれを含むありとあらゆる精神状態をも考えて(次図)
将来は・・・そうした大陸への航路を切り拓いてくれるかもしれない
と述べています.
個人的にはまずはこの「人間の精神状態」の境界付近の精神状態,に興味があります.その一つの例は先日のポスト
で紹介したピダハンの文化だと思います.言語学の根底に関わる特殊な言語を用いて,ハラリが言うところの「認知革命」をまだ経験していない(言い換えると,「虚構を共有する」という文化を持っていない)ピダハンは「人間の精神状態」というものの境界の一つを体現していると言えるでしょう.
