哲学者のアンディ・クラークは彼の「拡張された心」に関する仕事は
人間の「認知ー非認知」の区別への疑問として、
なされた、と述べています(「現れる存在」380~381頁)。例えば人間の「認知」(あるいは「記憶」etc.)というのは身体や環境といった外部世界に漏れ出しており、そのことにより
我々の脳の中だけで実行するには非常に複雑な処理のためのストレスを軽減
しています(このことをクラークは「コントロールとは複雑系をそっと一突きすることだ・・・」と表現しています。「現れる存在」383頁)。「拡張された心」に並行する考え方として「拡張した身体」という考え方があります。例えば猿に手の届かないところに置かれた食べ物を熊手を使って手元に引寄させる、という訓練をすると、やがて脳内のニューラルネットワークの繋がりに変化がおきてこの熊手が脳地図に組み込まれるのだそうです。その結果この猿にとって
「熊手は身体化された」、
言い換えるとこの猿は
「拡張された身体を獲得した」
と言えるのです(「野生の知性」289頁参照)。これと同じように人間の心も身体や道具、環境を通して拡張される、これが「拡張された心」の基本となる考え方です。森田真生氏はこのような「心の拡張」は身体・道具・環境のみならず「非記号的な思考過程」によってもなされると主張、更に、「数学的思考」というのはこのようにして拡張された心の一種なのだと述べています(「数学する身体」第四章 出難の道)。(なお、森田氏はこの「非記号的な思考過程」の一例として岡潔が繰り返し使った「情緒」を挙げているように思われます(「数学する身体」第四章 「情」と「情緒」))
拡張された心には大きな可能性があります。数学の理論はそのような成果の一つですが、このように拡張された心が生み出すことのできる様々な精神世界が前回のポストの中で紹介した高橋 和巳氏の描いた世界
・・・彼女は社会的存在の外側に出てしまった.同心円の構造から見ると,内側二つからはみ出て,宇宙に行ってしまったのだ.そこでは感覚も欲求も制限がゆるくなる.心の抑圧がなくなる場所である.
「野生の知能:裸の脳から、身体・環境とのつながりへ」
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「数学する身体」
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