地元で開催されるイタリア・グランプリに備え,またシーズン中も毎レース進化を続けるホンダのマシンに対抗するために,モリーニ・チームはエンジンを限界までチューンアップすることにした.
「全周回数二十二の百二十六.五キロさえフル・スロットルで飛ばせたら後はぶっ壊れても構わない・・・モデナ・サーキットの近くの農家を借り,納屋をガレージにしたモリーニ・チームは,毎日試作とテストに明け暮れた.・・・そんな頃,やっと四十馬力から四十四馬力のパワーを一時間にわたって保つことが出来るエンジンが出来た.」
(「汚れた英雄」より)
「モリーニが高速コースモデナで勝つことは不可能」と油断していたレッドマンは改良エンジンで戦ったプロビーニに破れた.勢いに乗って,アルゼンチングランプリでもプロビーニが優勝,レッドマンが2位となり,ついに選手権の有効得点はプロビーニ,レッドマンは同点となった.
こうして1963年の2輪世界選手権は最終戦鈴鹿グランプリを迎えたのである.