当時のモリーニマシンは単気筒の37馬力,対するホンダのマシンは4気筒46馬力のエンジンを搭載していた.モリーニマシンは,ほぼ車体の幅程のエンジンが非常にコンパクトに収められており,特にエンジン回りはたまご型のカウルで覆われていて,力強さと言うよりは可愛らしさを感じさせるものがある.
当時のホンダのエースであるジム・レッドマンと前後してコーナリングをしている写真があるが,レッドマンが膝を伸ばして,コーナで深くバンクした車体からぶら下がるような姿勢で強引にバイクをコントロールしているのに対して,少しでも空気抵抗を減らしてスピードを稼ごうと,プロビーニは完全にカウルの中にもぐりこんでそのまま車体を倒してコーナリングをしている.ヘルメットの抵抗まで減らすためか,顔はほとんど真下を向いている(なお,モリーニの燃料タンクにはプロビーニの顎に合わせたくぼみが付いている.しかしこれでコーナリングのポイントが見えているのだろうか).まさしく人車一体という言葉がふさわしい.
37馬力エンジン(「汚れた英雄」によると実際には41馬力出せた)を搭載したモリーニ250マシンでは4気筒DOHC46馬力のホンダとは勝負にならないように見えるが,モリーニマシンはホンダより30Kg 軽量であり重量対馬力比はホンダとあまり差がなかった.またコンパクトな車体に積まれた軽量エンジンのおかげで,優れた操縦性を持っていた.
これらのアドバンテージを活かしてプロビーニは1963年世界選手権第1戦スペイングランプリ,第2戦ドイツグランプリに勝利する(ホンダのレッドマンはそれぞれ2位,3位).続く第3戦イモラグランプリ,第4戦オランダグランプリはレッドマンの勝利(プロビーニはそれぞれ,無得点,3位,なおこの2戦でヤマハの伊藤史郎が2位に入る),第5戦ベルギーグランプリでは伊藤が優勝,プロビーニ3位,レッドマン無得点,第6戦北アイルランドグランプリはレッドマン優勝,プロビーニ2位,第7戦東ドイツグランプリはレッドマン3位,プロビーニは不参加.この時点で選手権のポイントはレッドマンがプロビーニをわずかに上回っていた,
残るのはイタリア,アルゼンチン,そして最終戦日本の3レースであった.