Society 5.0の意義
ハラリは21 Lessonsの最後に瞑想について述べましたが、私はこれがSociety 5.0の世界において人のあるべき姿を示しているのではないかと考えています。IoTやAIはやがて個人をハッキングするに至るだろうと彼は述べています。その時私たちが目指すべき生き方は、徹底的に自己に向き合うことだとハラリは言っている様に思います。彼は次のように書いています。
自由意志という幻想を捨てると,深い好奇心が湧いてくる.
虚構の物語をすべて捨て去ったときには,以前と比べ物にならないほどはっきりと現実を観察することができ,・・・,人は何があっても惨めになることはない
また「ホモ・デウス」の終盤でハラリは人間が一人一人固有に持っていると信じている意識の存在が実は,非常に曖昧なものであること,更に宗教がその影響力を失いつつあることを指摘した上で,その先で人類はいかなる教義を行動規範として持つべき?という問を提出し,これに続く”第10章:意識の大海”で、まずその新しい”宗教”の可能性として”テクノ人間至上主義”と”データ教”という2つの可能性を上げています.この章では,ハラリはまず”心のスペクトル”の広大さについて次のように述べてます.
私達が想像している小島の住民は少なくとも,自分が,広大で神秘に満ちた海に浮かぶ,ほんのちっぽけな空間を占めているのにすぎないことを自覚している.一方私達は,ひょっとしたら際限のない,異質の精神状態の大海に浮かぶ,ちっぽけな意識の島に暮らしていることを正しく認識できずにいる.
”消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せ」の中で虐待を受けて育った人たち” の ”第五章 心はさらに広い世界へ”で高橋 和巳氏は次のように述べています。
・・・一方,異邦人(虐待を受けて育った人々)が生きてきたのは「辺縁の世界」である.そこでは社会的存在は曖昧で,彼らは確信を得られず,いつも自分の存在に戸惑い,不安定に生きている.
そして高橋氏はその心のあり方に肯定的な意味を見出すのです.
私達の心に広さは,共有する感情と規範の範囲である.しかしそれが心の全てではない.
実は,心はあなたが思っているよりもずっと広く,その外側にも深いところにも広がっている.
異邦人の証言は,その広い心の可能性を見せてくれた.
拡張された心には大きな可能性があります。数学の理論はそのような成果の一つですが、このように拡張された心が生み出すことのできる様々な精神のあり方が高橋氏の描いた世界なのではないでしょうか。
発達障害(自閉症スペクトラム)の人の中には偶然のめぐり合わせによって素晴らしい能力としてそれが発現する人がいます(サヴァン症候群)が、殆どの人は社会の不適合者として行きづらい人生を送ることになるのです。私はSociety 5.0の目指す世界は物的なものではなくもっと精神性に寄ったものであるべきと思っています。そしてそれはより広い心のあり方が許される世界なのです。我々が獲得する拡張能力はこのような世界を実現されるために使われるべきなのではないでしょうか。
私は、Society 5.0は次のようなものである、とまとめたいと思います。
自我を捨てて得られる安心感をテクノロジーで裏打ちする事によって、世界と自分の境界がなくなっていく意識を持ち、死の恐怖をも克服できる幸せ・・・が得られる世界