荒川修作と死なない子どもたち
2019年11月ハラリの最新巻 ”21 Lessons”が日本で出版されました。現在、我々が取り組むべき21のトピックについて述べたこの本の最後の21番目のテーマとしてハラリは「瞑想」を挙げています。前作ホモ・デウスの中でデータとアルゴリズムによって支配される人類の未来を描いた彼がこの暗黒の未来を克服するには徹底的に自己に向かい合うことが必要であると説いているように思われます。さてハラリは自著の中で何回か”利己的な遺伝子”のドーキンスについて言及しています。ドーキンスは
「人間を含めたすべての生物は遺伝子の乗り物に過ぎない」と述べ,「生き物のすべての活動は遺伝子が自分たちを残そうとする”利己的な戦略”に基づく」,
と主張したのですが前野隆司氏は”人はなぜ「死ぬのが怖い」のか”の中でこの見解をさらに一歩進めて
私達ホモ・サピエンスは(エピソード)記憶という能力を偶然手に入れてしまった。そのために「自分たちは生きている」という感覚(クオリア)を獲得した。そして「これを失いたくない」と思うから死を恐れているのであって死ぬのが怖いという感覚には意味がない
と述べています。死に関しては、もうひとり鍵となる人物をあげておきたいと思います。荒川修作は死を乗り越えることを目指した芸術家です。荒川は少年時代、疎開先で、負傷した少女が自分の腕の中で息を引き取る、という体験をしました。このとき彼は「二度とこんなことがあってはならない」、「私は徹底的に死に抗(あらが)う」と決心したといいます。彼の作品である「三鷹天命反転住宅」や「養老天命反転地」は ”自分と外界を分けるもの” を見直すこと(そして、「自分はあそこにもいる、ここにもいる」ということを自覚すること)を目指しています。このような感覚を持つことにより「自分は死なない」と言っているのです(森田真生”数学する身体” の ”第一章 の「天命を反転する」”より)。
さてハラリが強調した瞑想ですが、これを極めた境地では、肉体が消えても自分は居る、という感覚をもつに至るとのことです。宝彩有菜氏の ”楽しもう、瞑想〜心に青空が広がる〜” の ”第5章修養の心構え 存在の至福とは”には:
(瞑想が深まると)「マインドや肉体」と、「自分」は違うものだという本当の体験をする・・・「私は、すっと、居る〜〜」というような存在の「至福」
が感じられると書かれており、この境地に達した人は死の恐怖をも克服できるそうです。