2016年7月24日日曜日

数学とユダヤ人(3)

このような教師が集まった数少ない学校の一つにレニングラードの二百三十九学校がありました。ここでは、数多くの数学オリンピックの出場者を輩出しましたが、その1人にグレゴリー・ペレルマンという男の子がいました。誰もが認める突出した才能を持っている一方で決して自分のことを前面に出すことのないペレルマンの性格は変わり者が多い数学の才能をもった生徒の中でも際立って変わったものでした。(彼は後に「ポアンカレ予想」という大難問を解決するのですが、それに関わる栄誉を全て拒否し、その後表舞台から姿を消し外界とのつながりを一切断ってしまいます。)


ところでソ連ではユダヤ人の先生・生徒をとりまく状況は過酷なものでした。例えば、この頃二百三十九学校にはヴァレリー・リジクという数学教師がいました。彼は長年にわたりペレルマンを含む多くの数学の才能ある生徒たちを育てましたが、ペレルマンの学年を指導した後に学校を解雇されてしまいます。これは彼がユダヤ人であったこととユダヤ人教師を減らすように圧力があった事が原因とされています。

研究者の間ではユダヤ人の優秀さはよく知っています(例えばノーベル賞受賞者の四分の一はユダヤ人であるという統計もあります)。1979年のロシア共和国ではユダヤ人の人口比率は0.5%に過ぎなかったのですが二百三十九学校の数学クラブの生徒の半数以上がユダヤ人であったそうです(なおユダヤ人とは本来は「ユダヤ教を信仰する人」という意味であって、特定の人種を指すものではないそうですが、当時のソ連では民族の一つと考えられていました)。政府はこのような状態を好ましいものと考えず、二百三十九学校のようにユダヤ人を「優遇」している学校には圧力を与え続けていた、ということです。