さてユダヤ人であったペレルマンは高校卒業後レニングラード大学への進学を希望しましたが当時ここには2名のユダヤ人しか入学が許されていませんでした(一学年の人数は350名)。しかし多くの人々の努力によりこの年は特別枠が与えられ、ペレルマンを含む3名のユダヤ人が入学することができました。これは当時「革命的」な出来事だったそうです。これが可能になったのは運によるところも多かったようです。実際のところペレルマンがもし5年早く生まれていたら、数学者としての道を歩むことはなかっただろう、と言われています。このような自身の才能と努力、周囲の人々の助け、そして幸運も重なってペレルマンは西欧の数学界でその実力が知られることとなりやがて、歴史的な成果を上げました・・・
数学の歴史の中では、時として個人や、社会構造の枠を超えた「数学の意志による事件」というべきものが起きることがあります。まるで社会的な困難や個人の意志を超えたところで「数学」というものが熟するのを持っていたように、革命的な結果が世に送り出しているように見える事件です。ペレルマンの成果もこのような事件に近いものであったのではないでしょうか(実際のところ状況はもう少し複雑で、ペレルマンの仕事に先立つものとして、1970年代にサーストンという数学者が提案した幾何構造という概念からこのストーリーは始まりペレルマンによって完結した、と見るべきなのですが)。