私自身は、この原爆投下にかかわる話を2005年に出版
された「暗号辞典」という本で知ることができたのですが、
それまで「広島への原爆投下に関して、日本はあらかじめ
知っていることはほとんどなかった」と思っていた私には
かなり衝撃的な事実でした。
ところで、NHKで放送された番組の中では、そこでさらに
あたらしい事実を知ることが出来ました。じつは日本軍は
広島に原爆が投下された後、8月9日にも600番代のコール
サインをもつB29の部隊が日本に接近していることを特集情報部
は観測しておりそのことを軍部に伝えていたのです。
ところでこの時の日本の指導部の状況ですが、この前日の
8月8日ソ連は日本に宣戦布告、8月9日零時をもって攻撃
が開始されており、8月9日10時30分から皇居で
最高戦争指導者会議が開催されていましたが、原爆の
再度の投下の関しては
「アメリカに続けて原爆を準備するだけの力はないだろう」
という、楽観的とも言える、意見により具体的な対応は
行われなかったということです。そのような議論のはなか
原爆ファットマンを搭載したB29ボックスカーは投下目的地
小倉市(北九州市)に到達しましたが、天候不良で視界が悪く
目標を長崎に変更、11時過ぎに長崎上空で投下された爆弾は
11時2分に長崎上空で炸裂したのでした。
この間、長崎にはなんの情報も送られていませんでした。
もしこの時長崎に空襲警報が出ていれば多くの人命が失われずに
済んだことでしょう。この番組では
「情報をちゃんと分析せず、かってな論理で広島、長崎への原爆
投下を見逃した軍部はけしからん」
といった論調で最後を締めくくっていましたが、私にはこの結論
はあまりにステレオタイプであると思えます。戦争というのは、
もちろん起きてはいけないものですが、一方で過去の戦争の記録
は私たちに数多くの教訓を残してくれています。このエピソード
がもつ意味はもっともっと大きいのではないでしょうか。
暗号辞典