さてそのようなドイツの数学の発展を支えた数学者の一人にフェリックス・
クライン(1849〜1925)という人がいます.裏表の区別をつけることの出来
ない「クラインの壷」と呼ばれる曲面がありますが,このクラインのこと
です.クラインは1949年プロイセン政府の首長秘書の子どもとして生まれ
ました.彼は23歳の時にエルランゲン大学の正教授に就任したことを始めと
してミュンヘン大学(1875年),ライプツィヒ大学(1880年)を経て1886年
に名門ゲッティンゲン大学で教鞭を取っています.数学者としても優秀でし
たが,彼は有力な縁故に恵まれ,社交性にも富んでいて数学界の発展のため
にも大きな役割を果しました.しかしやがてこのクラインの輝かしい人生に
ポアンカレが暗い影を落とすことになります.
アンリ・ポアンカレ(1854〜1912)は1854年フランスのナンシーに生まれ
ます.ポアンカレの父レオンはナンシー大学の医学部の医者でした.尚,
レオンの弟アントワンは技術系公務員として数々の要職を努めました.また
アントワンの息子のレイモンド・ポアンカレはフランス共和国の大統領に
なっています.このような立派な家柄に生まれたポアンカレでしたが少年時代
はおとなしくぼんやりしていることが多く回りの人たちはどのように扱って
よいのか困っていたようです.非常に強い近眼で,また大変不器用で,左右い
ずれの手で書いても同じくらいに字が下手で,図工や体育の成績は悲惨な
ものだったそうです.ただ図工や体育を除けば学校の成績は秀でていたと
いうことです.特に彼は授業中はノートもとらずぼんやりと物思いにふけって
いる様子であったけれど,記憶力が抜群で何年も前に読んだ本の一節が本棚
のどこにある本の何ページに書いてあるのか思い出すことが出来ました.彼の
この記憶力は死ぬまでおとろえることが無かったということです.