はおられるかもしれませんがそれは全然構いませんので気にし
ないでください.このお話の中で説明してゆきたいと思います
ので.
ポアンカレ予想に関するお話をするにあたって,歴史的にみて
どの時点からお話を始めるのが良いか,いろいろ考えたのです
が,時間的な制約もあって19世紀半ばからお話をはじめること
にしました.ここではヨーロッパでも特にフランスとドイツを
中心にお話を進めたいと思います.さて19世紀半ばといえば日本
では江戸時代末期と言うことになりますが,当時のヨーロッパは,
経済的にはいわゆる産業革命が本格化し各国で多くの富が蓄え
られていました.
ここで少し当時の学問をとりまく状況について説明しておきたい
のですが,18世紀の頃は大学は研究をする場所ではなく,先端的
な学問の研究は主に地方の貴族が援助する国立アカデミーあるいは
地方のアカデミーによって行なわれていました.実際のところヨーロ
ッパの大半の地域ではこのような援助はほとんど行なわれておらず
このようなところは非常に限られていました.18世紀のドイツでは
プロイセンアカデミーが学問の中心で,フランスではパリに研究
アカデミーが集中していました.ただし当時のドイツはまだ多くの
小国家が乱立した状態で,学問的にもイギリスやフランスに比べて
ずっと遅れた状態でした.1806年ナポレオン率いるフランス帝国軍
がイエナの戦いでプロイセン王国軍を破ったことで,ドイツの分裂
状態は固定化されこのようなドイツの後進的な状況はずっと続くか
と思われていました.
しかし面白いことにこのような小国家間の競争は,結果的に各地の
大学の間での優秀性を競争する環境を形作ることのなったのです.
また1806年の敗戦はドイツ連邦諸国の中に自己省察の機運を高め
る役目を果しました.例えば当時プロイセンの文部大臣を務めた
ヴィルヘルム・フォン・フンボルトはあらゆる社会階級の人々に
本格的な教育を施すことを目的とする教育システムの確立を先導
しました.1810年には世界一の大学になる事を目的としてベルリン
大学が創設されています.この他にもドイツの数学界の発展に大きな
貢献をした人材としてプロイセンの公務員アウグスト・クレレが
います.クレレ自信は土木技師でしたが,数学が好きで,現在も
刊行されている数学の雑誌「ジャーナル・フュー・ライネ・ウント・
アンゲヴァンテ・マテマティーク(通称:クレレ・ジャーナル)」
を創刊しこの雑誌を通して多くの若い数学を援助しました.このよう
な人々の努力により,ドイツの数学のレベルは急激に上がってゆき
ます.19世紀半ばまでに多くの研究大学が現れ,リーマン,
ワイエルシュトラス,クンマー,クロネッカー,ヤコビといった
一流の数学者が活躍しドイツの大学の科学と数学は世界のトップ
レベルに達します.