1990年台、少子化の影響でやがて大学入学人口が減ることに
対応して多くの大学が「学生にとって魅力ある大学」に姿を
変えようとしました(実際に行われたのは「土木」を
「都市工学」に言い換える、といった看板の付け替えが
主だったのですが)。その中でも東京大学は、大学の
教官を全員大学院所属にするという手法で、大きな予算を
獲得することに成功しました。(当時は、大学院の教員か
学部の教員かで大学に配分される予算の計算方法が違ったので
このようなこのような手法が可能だったのです。なお、
現在では予算の配分の算出方法が変わったので、この手法
では予算増にはつながりません。)これをみた他の旧帝大は
我も我もと教員の所属を大学院に変え、これらの流れは
「大学院化」と呼ばれていました。
大学院化に伴い、大学院の定員充足というのが大きな課題に
なりました。大学院化した大学は必死に学生を集めて定員充足
をしたのでした。やがてこの多数の大学院生の就職が問題と
なるようになりました。博士はとったけれど就職先のない
いわゆるオーバードクター問題が大きな問題になってきたのです。