2025年7月14日月曜日

数学と生きづらさ(3)



さて、ここまでお話ししてきた内容を踏まえたうえで、いよいよ今回、皆さんと一緒に考えてみたい最初の問いを提示したいと思います。それは、

「大学数学における貧困問題」

です。まず、この問題設定を少し整理しておきましょう。たとえば、経済においては

「資本的な豊かさ」と「貧困」という対比があります。

それに対応させる形で考えると――

「資本的豊かさ」 → 「数学的知識やスキル」
「貧困」 → 「人生の中で必要な数学にアクセスできない、あるいは活用できない状態」

というふうに捉えることができます。このような枠組みのもとで、次のような問いを立ててみたいのです。

問いかけ:数学における「貧困問題」は、実際に存在するのか?
もし存在するならば、どのようなアプローチが可能だろうか?




ところで、そもそも「数学における貧困問題」は存在するのか――
これについて、私自身の実感としては、「かつては、そのような問題はほとんど意識されていなかった」と言えると思います。私自身の学生時代を振り返ってみますと、大学に入って最初の解析学の講義で、試験の成績があまりよくなかったことがありました。そのとき、担当の先生からこう言われたのです。

「数学は、才能のない人がやっても無駄です。向いていないと思った人は、できるだけ早く別の進路を考えた方がいいですよ。」

当時の大阪大学・数学科では、数学科の使命は「数学研究者の育成」であり、その枠に入れない学生は「教育の視野の外側」に置かれていたのです。つまり、「数学における貧困」といった問題意識そのものが、最初から存在していなかった。「理解できない側」にいる学生が何に困っているのか、という視点がなかったのです。

もちろん、現在の大学の教育環境は、当時とは大きく変わっているはずです。ただ、私の見るかぎりでは、今もなお、当時とあまり変わらないメンタリティを持ったままの教員も一部には存在しているように感じます。

とはいえ、私はここで誰かを批判するためにこの話をしているのではありません。できるだけフラットに意見を交わせる場にしたいと願っています。たとえば――「数学の貧困問題など存在しない」とお考えの先生方には、その理由をぜひ伺ってみたいですし、学生の皆さんからは、「大学の数学教育に何を求めているのか」「どんな力を身につけたいと思っているのか」を聞かせてもらえたら嬉しく思います。

次に仮に、「数学における貧困問題」が存在するとして、私たちはどうアプローチすればよいのでしょうか?私自身がこれまで試みてきた取り組みとして、2つの観点をご紹介したいと思います。

ひとつは、「数学をするとはどういうことか?」という“メタ認知”を学生と共有すること。「数学にとりくむとはとはどういうことか」をともに言語化し、共有するということです。

例えばこれは私が今年度担当している全学向けの講義「数学入門」の中の資料の一部ですが、ここでは

数学をすることは決して難しいことではない、それは言語を操る能力とほとんど変わらないものである、
ただし、
数学を始めることは難しい、数学の世界に入り込むためには、高い集中が必要で、これは時に人を危険に晒すほどである、

ということを述べています。このようなメタ認知があることで数学に対する姿勢がずいぶん変わるように思います。



もうひとつは、私が重視している次のキーワードです。
「数学がわかるときの“外見的停止状態”の大切さ」

大学で数学のセミナーをしている時に発表する学生が止まってしまって自分の考えに耽るような状態になることがあります。
このような時私は、しめたこれは学生が理解を獲得するチャンスだ、考えます。このようにセミナーで学生が停止状態になった時には私はまず

「いま、頭の中で何かを考えていますか?」
「もし頭が働いているのなら、何分でも待ちますから、考えが進まなくなるまで考えてください。」

と伝えて、ひたすら学生が反応するまで待ちます。
ところで大学教員が

「最近の学生は自分で考えず、すぐに答えを聞く」

と苦言を呈している姿をよく見かけますが、これは決して今に始まったことではなく、私が学生の頃からずっと言われていたことのように思います。ところで私はこのような教員の愚痴を聞くたびに

「学生が自分で考えなくなったのなら、そのことを愚痴るのではなく学生が自分で考える力をつけさせるのが教員の役目でないのか」

と思うのですが、あまりこのような意見は聞いたことがありませんが、これはどういうことなのでしょうか?ま、このことは置いておくとして、私は学生の外見的停止状態は学生が自分で数学の新しい概念を獲得する絶好の機会と捉えています。つまり、見た目には何もしていないように見える「考えこむ時間」――
その時間を周囲がどう支えるか。これは、学生が“自分で考える”力を育てるために非常に重要な観点だと思っています。






もしこの後、小グループなどに分かれて話し合う時間があるようでしたら、こうしたノウハウの共有や、大学の教育プログラムにどう組み込むことができるか――
そういったことについて、ぜひ皆さんと意見交換ができればと願っています。




2025年7月1日火曜日

数学と生きづらさ(2)

では、次に2つ目の観点についてお話しします。

最近、「生きづらさ」という言葉を耳にする機会がずいぶん増えました。
私の身のまわりでも、たとえば数年前に大学で行われた教職員向けの研修の中で、この言葉が取り上げられていたことがあります。


その研修では、最近の学生が抱えるさまざまな課題について紹介されていました。たとえば――
・大学に入っても、友達ができず孤立してしまう
・就職活動の一歩を踏み出せない
・ようやく就職しても、すぐに辞めてしまう

こうした学生たちの行動や状態の背景に、共通して見られる要因として、「生きづらさ」があるのではないか、という指摘がなされていました。

では、そもそもこの「生きづらさ」とは何なのか?
その正体とは何なのだろうか?
私の中にそんな問いが浮かびました。

その問いに向き合う中で出会った一冊の本があります。
タイトルは『消えたい』。
この本では子供の頃に虐待を受けた人たちについて書かれています。
このような人たちは虐待がトラウマとなって、多くの場合大人なっても生きづらさを感じながら生きていく、例えば結婚して母親になっても自分の子供を可愛がることができない、むしろ子供が近づいてくると恐怖を感じる、といった生活を送っています。
この本は、このような「生きづらさ」と向き合いながら、どのように生きていくのか――その姿を丁寧に描いた本です。


この本の中に、非常に印象に残った記述があります。

虐待を受けて育った人は、人生の辛さから逃れるために
「死にたい」とは言わない。「消えたい」という。

「死にたい」は、「生きたい」「生きている」を前提としている。
「消えたい」は、「生きたい」と一度も思ったことのない人が使う。


またこれは「僕には数字が風景に見える」という本です。
著者のダニエル・タメットは発達障害を抱え、子供の頃は
人と会話をしていても、相手の顔を全く見ずに、自分の言いたいことだけをひたすら喋り続ける、
といった具合で人とのコミュニケーションが取れませんでした。
そのころのことを彼は次のように書いています。

ぼくはいつも消え去りたいと思っていた。どこにいても自分がそこにはそぐわないと思っていた。まるで間違った世界に生まれてきてしまったような感じだった。

やはり彼も「消え去りたい」という表現を使っています。さらに彼は自分は「間違った世界に生まれてきた」ように感じていたのですが、私にはこれこそが「生きづらさ」の本質なのでは、と直感しました。つまり

「生きづらさ」とは、
“自分はここにいてはいけない存在なのではないか”という感覚のこと。

これが、私が気づいた2つ目の視点です。


最後に、3つ目の観点についてお話しします。


これは、鈴木大介さんの著書『されど愛しきお妻様』という本に基づくものです。
タイトルにある「お妻様」とは、鈴木さんの配偶者のことで、発達障害を抱えていらっしゃいます。

このお妻様は、いわゆる「日常生活」を送るうえで、多くの困難を抱えておられました。
たとえば――
・朝は起きることができない
・食事の支度ができない
・会話がなかなか噛み合わない
・買い物を頼んでも、時間がかかるうえに、関係のないものを買ってきてしまう

そうした様子に、当初の鈴木さんは戸惑い、ストレスを感じていたといいます。

ところがある日、鈴木さん自身が脳梗塞を患い、その後遺症として「高次脳機能障害」と診断されることになります。
この障害により、鈴木さんは、今までごく当たり前にできていたことが、思うようにできなくなるという、数々の不自由を経験することになりました。

しかし、まさにこの「不自由さ」を身をもって体験したことによって、鈴木さんは、お妻様が日々どのように世界を感じ、どれほど困難を抱えて生きているのか――
それを、ようやく実感をもって理解できるようになったと言うのです。

そしてその理解をもとに、鈴木さんはお妻様との関係を、少しずつ、でも着実に再構築していきます。
この物語は、障害をめぐる“共感の可能性”について、私たちに多くの示唆を与えてくれます。

本の中で、特に印象的だった一節をご紹介します。

見えない不自由を抱えた人たちに、やろうとしてもできないことを強いる。
そんな周囲の無理解が、一層当事者の不自由を「苦しみ=傷害」にしてしまうのは、
あまりに残酷なことだ。
環境が不自由を障害にする。
これは、さまざまな障害支援の現場で普遍的に語られている考え方だが、
僕は、自分が当事者になって、ようやくその意味を心の底から理解することができた。

私にとって、ここで得た最後の気づきは、この言葉に代表されています。


「環境が、不自由を障害にする。」

つまり、ある行動ができるかできないかは、本人の能力だけではなく、
その人が置かれている環境――周囲の理解や制度、文化――によって、大きく左右されるということです。そして私としてはこれに:

「テクノロジー」というのは、環境からくる「障がい」を無効化する機能がある

という主張を追加したいと思います。
この視点は、教育の現場や社会全体を考えるうえでも、非常に重要なものではないかと感じています。

2025年6月27日金曜日

数学と生きづらさ(1)


この度は、講演の機会を与えていただきありがとうございます。では本日の講演「数学と生きづらさ」を始めさせていただきます。

まずは、このテーマの出発点になった、ある出来事についてお話しさせてください。もう20年以上も前のことになりますが、当時、私のゼミに所属していた4回生の学生が、「就職のために推薦状を書いてください」と言ってきたんですね。その時はまだゼミを始めたばかりでゼミの内容について書くことはほとんどなかったので、彼女に、「これまで大学で学んだ数学の中で、いちばん興味を持ったことは何ですか?」と尋ねました。

するとその学生は、はっきりとこう言ったんです、「大学で学んだことで、興味を持てたものは何もありません」と。


そんなはずはないだろうと思って、いろいろ話を聞いてわかったのですが、彼女はたしかに色々な数学の講義の単位は取ったものの、「自分は数学を操れる」と感じることはできない、という状態だったのです。


この時のことが、ずっと私の中に引っかかっていて、以来ずっとモヤモヤした気持ちを抱えていました。

最近になって、そのモヤモヤに対して、ひとつの見方ができるようになってきたのでそのことを少し、みなさんに聞いていただけたらと思っています。


最初に、数学とは一見関係のなさそうな、けれども「生きづらさ」というテーマを考えるうえで、大切な3つの事例についてお話しさせてください。

1つ目のお話です。
私がかつて大学の倫理・人権委員会の委員を務めていたときのこと、その活動を通じて「女性の貧困」という問題に関心を持ち、少し調べてみたことがありました。その際に読んだ本のひとつが、タイトルもそのまま『女性たちの貧困』という本でした。


ここで、「なぜ“女性”の貧困なのか?」と疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれません。その点について、少し補足をさせてください。

たとえば「ホームレス」と聞いて、皆さんはどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。おそらく多くの方が、ボロボロの服を着た中高年の男性が、路上の段ボールの家で暮らしている――そんな姿を思い浮かべるのではないかと思います。

しかし実際には、そのような「見えるホームレス」とはまったく異なる、
“見えないホームレス”と呼ぶべき人たちが存在しています。

『女性たちの貧困』の中で、ネットカフェで暮らしている、19歳と14歳の姉妹の話が紹介されていました。彼女たちは、毎朝ネットカフェをチェックアウトしてそこからコンビニのアルバイトに出かけ、夕方またチェックインするという生活を繰り返しているとのことでした。外見はごく普通の女子学生と変わりません。けれども、実質的には住居を持たず、いわゆるホームレスの状態にあるのです。

このような“見えないホームレス”は、行政の支援制度の網の目からも漏れがちです。なぜなら、見えていないものには対策が立てられないからです。このように、「女性の貧困」には、社会の目に映らない困難が潜んでいるのです。

客観的に見ると、彼女たちの生活は不合理です。安いアパートを借りた方が、ずっと生活に余裕が出ます。しかし、彼女たちはそのような生き方をしようとはしません。また公的な支援制度などがあることをしらないか、また知っていても「自分達のような人間が公的な補助を受けるのは申し訳ない」といって申請をしようとしない。この点についてこの本の中に、こんな一節がありました。

「貧困とは“お金がない”ということだけでなく、
“教育”や“情報”が欠けている状態でもあるのではないか――。
それが、取材を終えた私の実感です。」

この言葉を読んだとき、私はあることに気づきました。
それは「貧困」と「貧しさ」という言葉は、似ているようで実は異なる概念なのだ、ということです。

ここで、一度このふたつの言葉の意味を整理しておきましょう。

「貧しさ」とは、主に経済的な困窮を指します。
つまり、金銭的に余裕がない、生活が苦しいという状態です。

一方で、「貧困」とは、教育や情報が無いため“社会とのつながり”が欠如した結果として、所属するコミュニティから適切な支援が受けられず、生活の質――QOL(Quality of Life)が低下している状態を指します。


もちろん、多くの場合「貧しさ」が「貧困」を引き起こすきっかけにはなりますが、両者は必ずしも同じものではありません。例えば私と両親は、私が幼い頃、長屋のような府営住宅に住んでいました。家計は苦しく、物質的には「貧しい」暮らしでしたが、近所の人たちと助け合いながら、日々をやりくりしていました。私の家は当時としてはまだ珍しかった共働きの家庭で、幼い私は母の帰りが遅い時などよく近所の方に面倒を見てもらっていて、おかげで惨めな経験をした記憶は全くありません。こうした生活はたしかに「貧しい」かもしれませんが、「貧困」とは言えないように思います。

一方で、経済的にある程度の余裕があっても、社会的に孤立し、QOLが著しく低下しているような状態は、むしろ「貧困」と呼ぶべきなのではないでしょうか。

この「貧しさ」と「貧困」の違い。
まずはこの点を、皆さんと共有しておきたいと思います。

2024年1月9日火曜日

2024年1月9日全校集会

みなさんおはようございます。

新しい年が来ました。

みなさんはどんな気持ちで新しい年を迎えているでしょうか。

みなさんが前向きな気持ちでこの場にいてたらいいなあと思っています。


ところで、今年の元旦1月1日の夕方4時頃に、石川県の能登半島付近で大地震が起こりました。

その時先生はテレビを見ていましたが、突然テレビに地震速報が入ったと思うとすぐに番組が変更になって地震の様子がずっと流れるようになりました。石川県では今でも潰れた家の下敷きになった方々を助け出すための活動が行われています。そして避難所では多くの人たちが、不自由な暮らしに苦しんでいます。


今は、少しでもたくさんの人たちの命が助かること、そして避難所で大変な暮らしを続けている方々が1日でも早く安心して生活できるようになれることをお祈りしています。


地震といえば今から13年前(2011年)、皆さんが生まれる前ですが、3月に東北地方で東日本大震災と呼ばれる大地震が起きて2万2千人以上の方々が亡くなったり行方不明者になったりしました。その時にはいろいろと問題が起こりました。例えば、道路の通行情報が皆に伝わらなくて、被災した方々への救助物資がちゃんと届かない、などの指摘がありました。このようなことを見て色々な人たちが「自分たちで何にかできることはないだろうか」とさまざまな活動を始めました。例えば、日本の自動車会社は会社の壁を超えて自動車の技術をみんなのために使おうという団体を立ち上げました。この団体は、今回の地震ではいろんな自動車のGPSの情報をもとに、インターネット上に通行ができる道路の情報を公開しています。


https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/1558674.html


このように、私たちは災害に遭うたびに、そこから「自分たちには何が足りなかったのだろう」と反省して、「次はもっと上手くやろう」と工夫をし続けてきました。


しかし、いくら「次は上手くやろう」と思っても、それまで考えもしなかったことが起こります。


例えば、今から6年前(2018年)先生の住んでいる大阪で大きな地震がありました。この地震では先生の住んでいるところは震度6という激しい揺れに襲われました。幸い先生の家は壁にちょっとヒビが入っただけでしたが、家の近くではとても悲しい事故が起きました。


この地震は朝8時頃に発生したのですが地震のために塀のブロックが倒れてちょうど登校中だった小学生が下敷きになって亡くなってしまいました。


その後このことを反省して、国や自治体は、通学路に危ないところがないか調べました。そして全国で見つかった何千ヶ所もの危ないところを撤去しました。そのおかげで倒れて来た塀の下敷きになってなくなるというような事故が起きるかもしれない、という心配はずっと少なくなりました。


災害が起きた時に、そこで苦しんでいる人たちに何ができるのか考えるのはとても大切なことです。そして、災害が起きた時に


「今回は大丈夫だったけれど、でももしかしたらこんな危ないことが起きるかもしれないね」


ということを考えることはそれと同じくらい大切なことだと思います。


さてもう少しすると震災のニュースはテレビなどでは流れなくなるかもしれません。でもみなさんには今回の震災の時にどんなことが起きたのか、そして今まで気がつかなかったことで


「これは、気をつけたほうがいいぞ」


と思ったことはないか、ぜひ考えてみてほしいと思います。


いま苦しんでいる、能登やその周辺の人たちのことはちゃんと考えてください。ただ、ここから私たちの未来のためになる教訓も引き出す、そのようなことを皆さんがしてくれたら先生はとても嬉しいです。


そしてみなさんの学年の残りの時間は後少しです。この時間がいい時間になりますように。


では、これで今日の先生のお話を終わります。

2023年12月24日日曜日

2023年12月22日全校集会

 さて今年もいよいよ終わろうとしていますが皆さんにはどんな一年でしたか?

良い年でしたか?


本当に今年はいろんなことがありましたが先生がまず考えたのは、まる2年以上続いてきたコロナ感染症がようやく落ち着いてきたことです。


おかげで3年ぶりに水泳ができたり臨海合宿ができたり、6学年が揃って運動会や音楽会やなかよし集会ができたりできました。先生はとても嬉しかったです。


ところで、このコロナの流行を抑えてくれたのが、ワクチンです。今年になってみんながいろんな行事ができるようになったのもこのワクチンのおかげです。


今日はこのワクチンのお話をしたいと思います。


ワクチンというのは、ある決まった薬の名前ではなく病気にかかりにくくしたり、病気にかかっても軽くて済むようにする方法のことです。人は、なぜ病気になるのかというとウイルスなどの病原菌が体に入ってきて、悪さをするからです。


これまでのワクチンというのはこ病原菌を人間が育てて、それからその病気の元になる病原菌を弱らせてわざと人間の体に入れてやります。そうすると、体は弱った病原菌と戦って病気と戦う方法を覚えます。そうやって病原菌と戦う方法を覚えると、本当の病原菌が入ってきた時にそれと戦う方法を知っているので病気にかからなくなるか、かかっても軽くて済むというわけです。


ところでこの「弱った病原菌を作る」というのはとても手間がかかる作業で普通は新しいワクチンを作るのは3年はかかると言われています。でもコロナのワクチンは1年もかからず出来上がりみんなコロナワクチンの注射を受けることができました。


なぜこんなに早くワクチンができたかというと、カタリン・カリコ博士という人が研究していたmRNAというこれまでとは全然違った方法を使ってワクチンを作ったからです。


実は今年の3月の全校集会で先生はカリコ博士のお話をしています。

でもそのことを憶えていない人も多いと思うのでもう一度カリコ博士のことを紹介させてもらいますね。カリコというのはあまり聞いたことがない名前だと思います。カリコ博士はハンガリーという国で生まれました。年齢は先生よりもすこし歳上(1955年生まれ)です。カリコ博士のお父さんは肉屋さんでお母さんは事務員として働いていました。

普通のお家の生まれだったんですね。その頃のハンガリーはあまり豊かな国ではありませんでした。カリコ博士のおうちも貧乏でした。家には部屋は一つしかなくてお風呂も水道もない、そんな生活でした。


そんな具合でしたからカリコ博士は本を読んだりするような普通のお勉強はしたくてもできなかったと思います。でもお家の周りにはたくさんの自然がありました。カリコ博士は草や木、動物たちがどのように生まれて、成長してそして死んでいくのか一人で観察してそのことについて自分なりに考えていたそうです。自分の周りにある自然をみて自分で考える、ということをずっとし続けました。


やがて高校生になった博士はトート先生という生物の先生に出逢います。トート先生は高校生になったカリコ博士が自然を観察する素晴らしい力を持っていることを見抜いて博士の発見を発表するためにいろんなコンテストに出場するお手伝いをしてくれました。博士はトート先生の期待に応えてコンテストで素晴らしい成績をあげました。


そしてトート先生が高校生のカリコ博士にとっても大切なことを教えてくれました。それは「誰かの頭で考え、誰かの目で見るのではなく、自分の頭と目で見ることが大切だ」ということです。


普通勉強というと、新しい知識を本を読んだり誰かに教わったりすることだと思うのではないでしょうか。トート先生の専門の生物学ではメンデルやフレミングという素晴らしい研究者のお話を通して本当に大切なことは何か教えてくれました。


遺伝の研究をしたメンデルは何年もえんどう豆を自分の目で観察し続けて「メンデルの法則」を発見しました。


フレミングは悪い細菌を培養している皿の中にたまたまカビが紛れ込んで、それが細菌を殺しているのに気がついてこれが元になってペニシリンという薬が作られそのおかげでたくさんの人の命が救われました。


このように科学の発見というのは、自分の目でものを見た人が成し遂げることができるものなのだ、ということをトート先生はカリコ博士に教えてくれたのです。


ところで今年は先生はみんなが自由研究の発表をしている様子を見せてもらうことができました。そこでは皆んなが、自分の目で見て、感じたことを言葉にして友達や先生に伝えている姿を見ることができました。

みんなはトート先生からカリコ博士が学んだように本当に素晴らしいことを勉強しているんだ、と思いました。


さて今年の10月にノーベル生理学・医学賞の受賞者としてカリコ博士が選ばれました。


それをきいた先生は皆さんの中からもノーベル賞を取れるような素晴らしい仕事をしてくれる人が出てくるかもしれないと思いました。そしてそんなみなさんと一緒の学校にいられること、これに気付けたことがが先生にとっては今年の嬉しい気づきの一つでした。あまりに嬉しかったので今日みんなに紹介させてもらいました。


どうかみんなもぜひ振り返りをしてもらいたいと思います。そして今年が皆にとっていい一年だだったことに気がついてくれたらいいなと思います。


そして新しい年が皆にとって素晴らしい年になりますように。


これで先生のお話を終わります。

2023年11月2日木曜日

教科国際で学ぶ異文化理解の目指すものについて

(以下は本校の育友会の発行している冊子に寄稿した文章を若干改変したものです。

 1984年、当時大学院の博士課程に在学中であった26歳の私は、幸運にもアメリカに一年間留学をする機会をいただくことができました。これは私にとって初めての親元を離れた一人暮らしの経験であり、不安を抱えての出国でしたが、留学先のカリフォルニア大学バークレー校にある研究所では、世界的な数学者たちの研究を間近でみることができ、学問的にとても有意義なものになりました。ただ後になって振り返ってみると、この留学を通じての最も大切な学びは、海外の人と毎日の生活を共にすることによって「アメリカに住んでいる人たちも私と同じ人間なんだ」ということを心から実感できたことだったように思います。「何を、当たり前のことを言っているんだ」と言われそうですが、留学前の私にとってアメリカという国やそこに暮らす人々は、映像や文章を通してだけ触れることができる、まるで夢の国のような遠い世界だったのです。アメリカに到着したばかりの私には、そこにいる人々が、私と同じように笑い、怒り、悲しむごく普通の人間であることを想像することがきませんでした。そして、この「彼らも同じ人間だ」という実感を持てたことは、その後私が海外の人たちと接する時の大きな助けとなったように思います。

ところで、東ヨーロッパで黒海の北に位置するウクライナは肥沃な土地に恵まれ、「ヨーロッパの穀倉地帯」と呼ばれる豊かな農地とそこで生産された穀物を輸出するための良港を持っています。ただし、国の大半が平地であるため、外部からの侵入を受けやすく、歴史的にこの豊かな土地を狙う周辺国による支配・分割を受け続けてきました。比較的最近の事例では、ソビエト社会主義国連邦(ソ連)はウクライナを完全に取り込みウクライナ文化や言語を抑圧、さらに集団農業を導入しました。この影響で1932年から1933年にかけては、ウクライナではホロドモールと呼ばれる大飢饉が発生、数百万人のウクライナ人が餓死しました。また1939年に始まった第二次世界大戦では、ウクライナはナチス・ドイツに占領されました。このときウクライナの人々はナチスがソ連の支配から解放してくれることを期待していましたが、実際にはソ連に劣らない厳しい迫害が続きました。第二次世界大戦後、ウクライナは再びソ連に取り込まれてしまいました。ウクライナ人にとって自分たちの独立国を持つことは長年の夢でしたが、1991年にソ連が崩壊しついに念願の独立が実現したのでした。ただし、この新しく建国されたウクライナも依然として資本主義を理念とする西側諸国と、旧ソ連に所属していた諸国の間の争いに巻き込まれ続けています。特に、ソ連時代に多くのロシア人がウクライナに移住しており、その存在は現在ロシアがウクライナに侵攻する口実になっています。

さて、昨年度本校の2星の担任をされていた朝倉先生は、戦禍を逃れて奈良に避難中のウクライナ人学生ヴィクトリアさんと一緒に2星のしごと学習を実施しておられました。この取り組みでは、ウクライナの生活に関する独自学習・相互学習を繰り返すとともに2022年11月28日、12月19日、2023年2月21日の3回にわたってヴィクトリアさんに来校いただき対面の授業を行ったそうです(なお、2月21日にはNHKによるテレビ取材が行われました)。対面ではウクライナ料理のシルニキを作ったり、逆に日本のおにぎりをヴィクトリアさんに作ってもらったりしましたが、事前にヴィクトリアさんにシルニキのトッピングなどに関する質問をする方法について考え、実際に質問をする練習をしたり、またヴィクトリアさんが本校に来る時の助けになる地図を作ったり、ヴィクトリアさんが日本で不自由と感じていることを質問したりする練習などの学習をしていたとのことです。

豊かな大地を持つが故に、周辺国から蹂躙され続け、今もロシアからの侵攻に苦しんでいるウクライナに対して、海という天然の要塞に守られた島国である日本に住む私たちは、ウクライナの人たちが世代を超えて感じ続けている痛みを実感として理解するのは難しいのかもしれません。ましてや小学2年生の子どもたちに人為的に描かれた国境で区切られた国々の集合体であるヨーロッパが抱える、政治的・歴史的苦悩とそれに起因する人々の痛みを知識として理解することはほとんど不可能でしょう。しかし、子供たちは今回の学習で、私が26歳でようやく実感することのできた「アメリカに住んでいる人たちも私と同じ人間である」という感覚に匹敵するものを、知ることができたように思います。子どもたちにとって英語やウクライナ語は、それを使うこと自体が目的ではなく、ヴィクトリアさんとコミュニケーションを取るための媒体という機能があり、それを実現するには形式的な発音や表現を覚えるという技巧を超えた深い考察が必要だったのです。そして、それはヴィクトリアさんがより便利に奈良で生活できる方法を探るために、実際に利用されたのでした。

今の子供たちが、世の中で活躍する頃には人類はどのようになっているのでしょうか。願わくば世界中の人々がその多様性を互いに尊重しあった上で、真の国際相互理解ができる平和な時代が来てほしいものです。子供たちが成長し、世界の様々な場所で働く際に、そのような世界を作ることに貢献できる人材となることを願っています。そしてそれが教科国際の目標であり、私たち教育者が今探求すべき課題なのであり、そしてそのためには、今回朝倉先生が取り組んでおられるような教育こそが大切になるのではないか、などと感じています。


2023年4月10日月曜日

2023年度始業式

 皆さんおはようございます。いまこうして皆さんの姿をまたみることができてとても嬉しく思っています。


ところで、先月3月20日の終了式で先生はmRNAワクチンを開発したカタリン・カリコ博士のお話をして、博士のお父さんが肉屋さんにお話に繋げて、エッセンシャルワーカー(:本当に大切な仕事をしている人たち)というお話をしました。


今日もまたコロナに関係したことをお話ししたいと思います。

3年間、私たちはコロナウイルスの影響に苦しんできましたが、カリコ博士の研究やその他の人々のおかげで現在はコロナの収束が見え始め、コロナ以前の生活が戻ってくるんじゃないか、と期待されています。ただし、先生はこれからもいろいろ嫌なことが起きるんじゃないか、と心配しています。


ちょっとコロナ流行が始まった頃のことを思い出してみます。そこで、先生がすごく気になったことがあります。それはエッセンシャルワーカーと同じ頃に話題になった「自粛警察」という言葉です。コロナ流行が始まった頃、政府は私たちに「家に閉じこもって外に出ないようにしてください」と呼びかけました。このように家に閉じこもることを「自粛」といいますが、その頃、自粛警察と呼ばれる人々が現れました。彼らは街に出ていって、自粛をしていない人を写真に撮ってネット上で晒し者にしたりしました。きっと自分たちが正しいことをしていると信じていたのでしょうが、自粛警察人たちがコロナが広がる原因になりかねなかったり、実際には迷惑なだけで、効果はなかったとされています。


なぜ自粛警察のような人が出てきたのでしょうか?いろんな意見があると思いますが先生が「そうだよね」と一番思うのは、


人間は自分の理解できないことが起きるのが我慢できない、という性質を持っている


というのです。そして自分の理解できないことに不安になった時に無理矢理理由をつけようとするのです。


特に弱い人を攻撃することで安心しようとする人が出てくるようです。


そのようなことで起きた悲劇を紹介しますね。14世紀のヨーロッパでペストという病気が大流行してたくさんの人が亡くなった、ということがありました。(*)当時はウイルスについての知識もなくてなぜ人々が次々と死んでしまうのかわかりませんでした。そんなことに不安になった人々はこの病気の原因を無理やり探そうとしました。その頃、ユダヤ人という人たちは、彼らの信じてる神様の教えに従って体を清潔にしていたのでペストにかかる人が少なかったのです。そこで「ペストはユダヤ人が毒をばら撒いたのが原因だ」という噂が広がり、多くのユダヤ人が虐殺されたと言われています。


(*) https://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-090.html


本当にいたましいことです。さてここで話は変わりますが、ここでマスクについて考えてみましょう。今政府はマスクについては、「どうするか自分で考えてください」といっています。だから今は「もうマスクはほとんど必要ない」という人もいれば「まだまだマスクは必要」という人もいるでしょう。実際にには病気や体質でマスクをしなければいけない人もいるでしょう。マスクをするかとるというのは「これが正しいという答えがない問題」なのです。このような問題のことを「正解のない問題」といいます。自粛警察のような人たちはこのようなこと、つまり「正解のない問題」があるということが不安でしょうがないのだと思います。


ところで、今朝先生は学校に来る途中で電車の中でマスクをしていない人たちを見かけたんですが、その時にちょっと「イラッ」とする感じがしたんです。先生は、この時ふと自分も自粛警察と同じになっているのかもしれない、気をつけなければいけないと思いました。


周りを見回してみると、今の時代は「正解というものがない問題に囲まれた時代」であることがわかります。例えば、「幸せになるにはどうしたらよいか」や「地球の環境を守るのはどうしたらよいか」というのも正解のない問題ですね。このような時代には何が必要だと思いますか?


先生は、皆さんが毎日のようにしている「おたずね」が大切だと思います。おたずねを通して相手の言っていることをきちんと理解すること、そして「おたずね」の相手をもっと広げて社会のこと、病気のことなどに対する正しい知識を知る力だと思います。そして皆さんがその力を持っていると思っています。


さあ新しい学年が始まります。みんなで一緒にしっかり考えて良い道を探していい一年にしましょう。